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カンファレンス 介護 余命 在宅医療 看取り 誤嚥性肺炎

病病介護を振り返り〜カンファレンス当日ナンバー2 結論は如何に?

    
#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎






いよいよ カンファレンスがスタートした。
私は緊急病棟の母の担当医師の真ん前に座り
医師は 母の治療カルテが見易い角度に
してくれた。

他には循環器科の医師
隣には外来で担当が変わったばかりの初めて会う女医
介護士2人
ソシャールワーカー

私の隣には少し遅刻して入って来た在宅医療のケアマネだ。

やはり終末期入院の患者さんの場合
大体 こういったメンバーである。
  
さて医師から 入院当初からの母の容態を時系列に 
口頭で 変遷が報告された。
 私は入院前の様子から服薬の薬を述べ
母の今回 使用された抗生物質の点滴の薬剤成分を
質問した。

毎日 母に介護にお見舞いに来て居て
薬剤の追加や変更があり 気に成って居たので  
介護士さんからは教えられない制度なので 
疑問 質問は しっかり聞いた。
ケアマネも私と同じくメモを  急ぎながら書きとめる。

炎症反応CRPや白血球 胸の音 レントゲンの肺炎の変化
嚥下 体重 睡眠 尿 熱の変化 諸々
質問し  呼吸科の医師や介護士からも 説明を受ける。

今迄の点滴カロリーや  いつ、嚥下食スタートか?

又緊急病棟は20日間しか入院出来ないので
退院に向けて今後の治療方針を尋ねた。

担当医師から
は もっと重篤になるかと 医師 介護士らは
夜も頻回に血液検査や 酸素マスクを考慮して診て居たが 
お嬢さんが毎日 遅く迄

御母様に語り 凄い熱心に介護し大事にされたのも
幸に転じ 体力 年齢を超えた頑張り
治療の成果が出たと話して呉れた。

ケアマネと顔を合わせ
やはり!関係すると笑顔で皆の顔を見渡した。

ケアマネも本当に熱心なんですよ…っと私の背中叩いた!

医師は酸素マスク使用せず明後日から
一般病棟へ行かれます!と笑顔で話した。

有難うございます!!
嬉しいですと立ち上がり頭を下げた。

一般病棟
間違いがなく退院へ!!



 

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病病介護を振り返り〜 救急車で緊急病棟へ入院した母よ!カンファレンスの日が到来

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


私は 雨の日も台風で傘が折れる日も
母の緊急病棟個室へ祈る気持ちで
沢山のお見舞いやメッセージカード 
新しい下着やタオル を 抱えて
 皆勤賞物で
面会終了時間ギリギリまで

介護士さんらに交わり ある意味より丁寧に
母を介護し 心身を見舞った…

今日はカンファレンスの日だ!

母は私が こんにちわ
今日は体調は大丈夫? 苦しくない?
と尋ねると
明るく笑顔で 大丈夫よ
もう大丈夫だから 先生に退院させて下さいと
告げてくれないかしら?
本当に大丈夫よ。
毎日有難うね

と言って 私が大変だから 退院と
思いやってくれて居る気持ちを察した私。

うん
そうね  今日は先生達とお話し合いなのよ、 
母上の気持ちを しっかり伝えながら 私が
きちんと話し合いして来るので安心してね!

退院 嬉しい響きだ!!

母の尿袋が外されている!
わぁ 本当に一つ一つ母は克服
回復してくれて居る

嬉しくて 愛しくて 今日も前進!していると
母に本当に 本当に立派よ
よく頑張り 素晴らしい!
流石に 世界一愛する私の宝物よ
と 母を抱きしめて抱きしめて
離れたくなかった。

救急車で運ばれた日の光景が
脳裏に浮かび  余命宣告すら
されている 母よ
本当に素晴らしい!
立派に生きてきて 沢山の徳を積み上げ
人助けまでして来て
本当に神仏に守られている 確信した。

又我が家で 訪問医療介護で 
母との時間が持てるのだ  
 母の姿を見て 
嬉し泣きだ……

今日は私が膠原病とヘルニアの痛みで
コルセットや癌の疼痛薬
リリカ  トラマールを
マックス6錠ずつ服用してマイ松葉杖

でも毎日の母の有難き頑張りを
思うと 自分の辛さは遥か彼方へ遠ざかる
私には母の存在と笑顔が 史上最強のお薬である。

そう!母娘して お互いに そうだ!

有難い   スマホカバーのボケットには
 人間国宝と 二人で作品創作に出むく
故父の写真を入れてある
カバーを開けて見たら
父の満面の笑みと 大丈夫だよ…と
語り掛けて呉れる。

今日は ほら見て!と 母に 父の写真を
見せた。

あら パパの写真を持ち歩いて居るの?

まぁ懐かしい 此方は 鹿児島寿蔵さんね。 
よく こんな写真みつけたわね? と

懐かしい仕事の話も15分位
笑顔で話せて 母の幸せそうな 笑顔と
 熱心に
写真に見入る姿に
私は体内の血が騒ぎ 脳内モルヒネが
フツフツ湧き上がる勢いをドクドク
感じて居る。

母の体内にも同じ事が起きているはず! 
頬が淡くピンク色に成り まるで
乙女の様だ。

幸せの形はイロイロ有るけれど 最高の至福である。

私は介護士さんに カンファレンスはまだですか?
母の傍に居て大丈夫かしら?と 
ナースステーションに声を掛けた。
はい お声がけしますね
お待ち下さいねと明るい返事。 

母にプリン ヨーグルトを 食べれるかしら?
とオーバーテーブルに
箱から出した途端に

医師3人 介護士二人 ソシャールワーカが 
こんにちわ、お待たせしました。 
アチラへどうぞと 部屋に入って来た。

ブリンを食べさせたいので
何方か 介護士さん 母をお願いします!
と頼み  

私は元気に明るく 先生達と
 お話ししてくるわ!
直ぐに 極力早く戻るから
ユックリ安心して食べて居て頂戴ねと
母の手を握り 背中を撫ぜた。

直ぐに?待ってるからね
母は今まで楽しく談笑して居た私が いきなり
沢山の白衣を着用している医師達と 
部屋を出てゆく姿に
動揺を見せたが
私は必ず 良い方向への話し合いだと
胸を張った。

部屋は随分 遠いい 
介護士さんの1人が歩けますか?と
私に気遣いをみせて呉れた。
ええ 母の為なら 大丈夫ですよ!
笑顔で 今日は良い天気ですね
と答えた。

そろそろです
遠くて すみません 
介護士さんが私の心身をホローしてくれた。 

コツコツ コツコツ
足音が大きく院内に響いている。 

いざ!出陣
私は案内された広い部屋に入り 大きな電子カルテが
まず目に飛び込んで来た。
そしてレントゲン写真

ファイト!母上
ファイト!私
父の写真を再び見ながら祈る。

失礼致します。
松葉杖をデスクに掛けながら

本日はお忙しい中
お時間を割いて下さり有難うございます。
宜しくお願い致します。

と一礼してから 椅子に座った。
母上  待っててね! 
必ず良い知らせが
出来るからね。
母の笑顔を彷彿しながら
心の中で約束をして 私はノートを開いた。





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病病介護を振り返り〜緊急病棟へ入院した母よ ナンバー2


#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎

緊急病棟に入院して 連日 母の元に駆けつける私。

母の免疫力 気持ちがアップする様にと 
綺麗な花や 母の大好きな真っ赤な薔薇の花束
明るい色のストールやベスト 靴下を購入して
母にサプライズを繰り返した。
 
母は仕事人故に
私が連日 沢山の物を買って来るので
そんなに 大変でしょ?お金を使わなくて いいのよ、と 病人では無いような台詞を私に言うように 成った。
 私は
そのような事に頭が回るなんて
回復して来て証拠だわ!と 笑いながら
嬉しかった。

今日は医師に相談し
禁食の母に トロける美味しいプリンを
食べさせたいと申し出て オッケーを貰っていたのだ。

ケーキ屋さんの箱には母の好きな銀座の老舗銘菓が!
中には4つ入って居る。
え?と 母は 起き上がろうと頑張って呉れたので
私も嬉しく 母を ユックリ抱き寄せて
髪をとかし 熱々タオルで顔や四肢を拭いて
指も幾度も柔らかいタオルで拭いてから
オーバーテーブルを母のお腹辺りにセットし
上部をアップさせ 座位を整え

ハイ!母上の大好きな銀座のプリンよ。
ユックリ 一緒に食べましゃうね!

母は薔薇の花束と プリンに 目をキラキラと輝かせ
本当に綺麗な薔薇  それに食べるの?
ピックリした顔で微笑んで呉れた。
  有難うね 本当にいろんな事を有難うね
私に食べなさいと スプーンを差し出した。
 
私は母上らしいわね、
これは先生の許可を貰ってあるの!
母上の頑張りの賜物よ
二人で食べましゃうよ! 美味しいわよ
私も 嬉しく お腹が空いた(笑)

母は酸素がとれて自発呼吸に成り
熱は37.5度位に落ち着いて来たが
変わらずに心電 抗生物質点滴 氷枕。
  
母は食べられる幸せを噛み締めながら
このお店まで 行ったの?
美味しいわねと
私の労を幾度も労って呉れた。

介護士さんらも 何時も 真剣な顔つきだが
今日は まぁ 綺麗なお花に囲まれ
お嬢さんとスイーツ?
豪華ですね   ご褒美ね!と 
母に笑顔一杯に頑張りを 褒めて呉れた。
 
私は 嗚呼
早く今日にでも
母を退院させて私の介護で治したい!!と
早る気持ちを自重しながら
点滴の薬をメモしたり 心配なので
家から持参した器具で母のサチュレーションを
計ったりした。  

スマホで母の好きな曲をリピートして
聴かせたり
母の身体を 擦りながら 
一日模早く肺炎炎症が鎮静して 一般病棟に
移れないかしら?
と回復して又母を我が家に連れて帰りたく
願いながら 私もプリンに口をつけた。

嗚呼 幸せだ!
母は今回も必ず
回復してくれて居る。 良い方向に向かって居る!

私は大きな文字で
母にお便りと 似顔絵を描いて来た封筒を
渡した。
これは 私?こんなに若く綺麗じゃないわ と 
嬉しげに何度も似顔絵を見て呉れた。
 
本当に嬉しい
幸せな時間だ!
神仏に深く感謝して 母の頬にキスをした。
もう少しよ  声も出る様になり
本当に素晴らしい頑張りよ。

母上 万歳
母上 万歳
早く退院を目指しましょうね!!

私には担当医師の3人と
話し合い カンファレンスが待っていた。
必ず!良い話し合いだ!
張り切って ファイト!と
心の中に母の笑顔を思い切り焼けつけた。

#緊急病棟
#誤嚥性肺炎
#カンファレンス
#禁食
#美味しいプリン#母上#ユックリ#賜物

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病病介護を振り返り〜 母の居ない春分の日

     
#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎
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半年前に不憫な辛いお別れをして
涙を堪え 喪主として母の告別式を行い 施主として母の納骨式を執り行い 

母の存在しない春分の日を
迎えて居る。

母は女流工芸家ナンバー1として 父親役として
豊かに姉妹を愛育 教育 贅沢な習い事 留学まで
させて呉れた。 

客観的に見ても 母の様な尊敬感謝する方は
なかなか出逢いは なく 私には 母は全てであった。

最期の最期まで 不平不満を言わず
気高く美しく  立派であった。

だから母を誇りに思い 私の命のある限り
私の心と身体の中で 永遠に共に生き続ける。

母は生き神様の様な人であった。
私には どの様にしても
追い越せない雲の上の母。

晩年 そのような母と暮らし在宅介護に頑張れて
良かった………





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病病介護に振り返り〜 緊急病棟個室へ入院した母よ

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


翌日は昼間に病室に着いた私。

一般病棟の看護師さんとは異なり
男性の看護師さんも多く 腕が良く俊敏な仕事ぶりだ。

私がの提案や質問にも丁寧に掘り下げ
医学的知識も深い。

私が20歳代の頃
誤診に遭い 免疫系を破壊され膠原病とベーチェット病で3年寝たきり
痛みで紙すら握れず七転八倒していた。
失明の危機にも遭った。

その結果 結婚したての私は母と主人に心配と
大変な介護 苦労を掛けた……

膵臓裏の小さなランゲルハンスから分泌されるコルチゾールが出なくなり
少しのストレスや過労 異物ウイルス混入で 
全身 指から全て猛烈な腫れや痛みで立つ事も無理な状態に陥り
命さえ危険だった。

徐々に回復し奇跡的にアクティブな私に戻れたのは
母の深い愛
海外駐在員の辞令を幾度も命令されては辞退して呉れたエリートの主人の労りと介護
そして母譲りの私の意志の強さからだった。

その医療裁判に向け2年間
私は医学部で学んだ。必ず裁判に勝ち
家庭混乱 重篤な病の身体にされた私は初歩的なミスを侵した医師に反省して欲しかっだ。

そして尊敬し合っていた主人に力量を存分に
発揮して欲しくて私が身を引き離婚までに至った。
勿論 主人は仕事より私を選んで呉れたが 
私が足を引っ張るわけにはゆかない と悩み抜いた結論だ。

話が脱線したが
私が気力と母への愛で介護に自らの命を掛けられる理由はこの事件にも起因するからだ。

既に前回
 母は大腿骨骨折 寝たきりに成った時点で
余命を宣告されている。

しかし必ず! 私が母を幸せな気持ちで
再び 安泰で長生きさせると決意した以上
私自らの病を気力と薬をで余命を封印した。

抗生物質が菌に反応し効果が現れ
38度台に母のすざまじい41度の高熱が
下がり始めた。良かった!!

変わらずに管だらけで 心が壊れそうな私だが
男性看護師さんが  様々な苦痛や環境の変化により  癌や腫瘍が胃腸にできたら大変な事態になるからと
それを予防する注射を点滴管に注入した。
なる程…… 今迄 母がオペや長い入院の際には こういった処置 予防はなされなかったので
やはりICUに凖ずる 緊急病棟の治療は流石だと感じた。

私の誤診 入院の際にはステロイドを一日12錠!と
当時39キロの細い私の身体は副作用だらけで その中に酷い胃潰瘍 胃に水が溜まり
体重は20キロ台に減ってしまったものだ。
一年間 重湯しか口に出来なかった。
歩く様に成るまで
悔し涙を流し 一人黙々とリハビリに励んだ。

母には医師や看護師さんらが懸命に治療に
あたってくれて居る様子を目の前で見て居て
少し
私の心が穏やかに成った気がした。

母もサチュレーションが下がると酸素マスクを付けられ 状態が良い時は 鼻からの酸素で
私に 少し楽に成ったのよ………と
まだ苦しそうに身体を 捻じる様な動きも
見えたが
気持ちは同じく 落ち着いて不安げな顔つきから
柔和な時間が少しずつ 垣間見える。
楽観は駄目だが
必ず!大丈夫と母に繰り返し告げた。

必ず!!早く治してお家に帰りましょう
指切りげんまんよ と笑顔で母を抱きしめた。
二人で一つよ。
私の言葉に疑いを持たずに信頼しきって
闘病に励む 我が母の姿に胸を打たれどうしだ。

私がナースコールを押すと二人の看護師さんが
一瞬にして飛んで来て 私の質問や こうして欲しいと願い出ると直ぐに慎重に相談し
介護士長さんが答え説明に来て呉れた。

これには心強く 母も気配や丁寧な口調を耳にして
安心しながら
辛い治療に頑張ってくれて居る。
これこそ
救命病棟 救命病院の務めだと感じた。

未だに 在宅医療しているのなら
お帰り下さいと冷たく 口にした医師の言葉は何だったか?見殺しにするつもりか?
恐ろしさを痛感した。
あのまま 帰宅して居たら
助かる大切な命が~ 信じられなかった。

母は私が傍に居る姿を見て 手を繋ぎながら
安心した様に寝入った。

母の寝顔を見て  今迄 本当に感謝で一杯。
私は母の娘に生まれて世界一 幸せだと
心から誇りに思った。
何時も 何時も頑張りどうしね、本当に有難うね。

又必ず 在宅介護で 母の苦労 頑張りに
報い 親孝行に専念しよう!!と
気力が増した。


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#終末期医療#誤嚥性肺炎#緊急入院#緊急病院

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介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り〜母の呼吸困難で救急車!さて入院か在宅医療か?

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


救急車が病院へ到着した。
母の酸素飽和度は酸素マスクのお陰で数値はアップしたが
高熱41度が不安だ。  

顔は真っ赤で やはり苦しそうである。

緊急処置室に運ばれた母。
私は待合室で長く待った。

救急車で駆けつけたのが、こんなに待たされるとは? 胸がドキドキ鼓動を打つ。
誰か 姉が精神疾患でなければ 直ぐに電話で
判断を医師に万が一 聞かれたら相談出来るのだが。

落ち着け 私! 
絶対大丈夫 
冷たいカン珈琲を片手に 神仏に祈る。

トントン 私は心配で立ち入り禁止の処置室に入り 母を見つけた!
数人の介護士さんらに 如何ですか?と母の容態を尋ねながら母の身体を抱いて頭をさすった。

検査は一応済んだらしいが口ごもる介護士さん達。
 
医師は?どちらに
結果は どうでしょう?!話を聞きたいと思わず
強い口調に成っていた。
私の目は 母の目と見つめ合っていた。

10分後に医師が3人現れた。 
様々な検査数値は聞けた。
入院の状態だ!
 しかしながら
医師からは 在宅介護 在宅医療を受けてますよね?
入院は なさらない方が良いですよ。 

在宅介護 在宅医療をしているのならば
家での看取りを覚悟したはずですよね。

私は驚き  最終的に無理と判断された時には
我が家で看取りをしたいとは 確かに告げましたが 
今は母は覚醒していて  病院で診て頂ければ助かり治ります!こんなに高熱でも 私には、しっかり頑張って意思を伝えてくれて居ます!もう看取りを︙!
私は疑問を抱き 
一番年長の医師に 早く治療をお願いします。

経口で嚥下食や薬も摂れます。
内臓の働きも落ち着いて居ます。

医師は緊急病棟に連絡を入れ 私に分かりました。

今から緊急病棟へ上がります…

私は有難うございます。母を必ず助けて下さい
訪問医師には今から連絡します!

私は介護士が迎えに来るまで
又待合室に出された。
何とか入院に  しかしあの医師がいなかったら?
頑張って居る母が不憫で頭に血が上り

老人を大事な命を侮るな!
廊下で思わず涙を何滴か落とし叫んだ!

母が処置室から介護士さんらにタンカ押され緊急エレベーター。
緊急病棟広い個室へ!

なんとナースステーションの真ん前だ。
早速 酸素 点滴治療スタートし
介護士とパジャマへ着換えを手伝いながら
母には 又お風邪を引いちゃったのよ、早く病院に来たから直ぐに 良くなるからね!と
笑顔を見せて 手を繋いだ。

母は辛いのに又
綺麗な瞳を私に見せてくれた。
うん と言う仕草を答えて呉れた。

これで 帰宅させようとした医師団を
改めて悔しく思い返してしまった。

この気持ちをバネに私は毎日
母の元に通う!心に誓った。

母には ユックリと目を瞑り 眠ってね。
今から 入院に足りない物を急いで
持って来るわね。安心してね。
直ぐに戻るわ!

母は少し不安げな寂しそうな顔を私に
向けて こうこうと明るく電気がついた広い部屋の
ベッドに管だらけで 

私は母に 頑張ってね!二人で一つよ。
必ず又お家に早く戻れるから。
心の中で呟き…祈る。

ナースステーションにいた介護士さんらに
脇の下にもアイスノンと 電気を少し暗くする旨
頼んで タクシーでまっしぐら我が家へ急いだ。






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病病介護を振り返り〜母を亡くし半年して脳裏に過る事NO2

#在宅介護
#誤嚥性肺炎



昨今 カウンセラーの仕事をスタートした事も加え
最終期老人医療の現実を再び目の当たりにして

あまりにも 母に残酷で不憫な思いをさせて
唯一無二の私の愛する母と哀しい別離を涙し
無念さは生涯消えない。

当時は一日一瞬がガムシャラ全身全霊と深い祈りで
在宅 病院 施設に渡り介護と愛 私のパワーを母に捧げて盲目必死であった。

在宅介護 在宅医療をしていた際に母は 誤嚥性肺炎を起こし キーパーソンの私にヘルニア 喘息発作の悪化で初めて掛かる病院をケアマネジャーから紹介され 母を介護タクシーで連れてゆき即座に丸一日掛けて車椅子で検査に回され 結果を聞く段階で担当医師に初に出逢った。

開口一番 医師は自分の親なら餓死させる
昔は 僧侶が死を悟ると自ら土に穴を掘り お経を唱え亡くなったと。

その話は知って居たが あまりにも餓死とは?いきなり
医療の現場か?と耳を疑った。

母と私の体調が悪い中で
 母に明るく声を掛けながら車椅子を押しつつ
私は重たい入院荷物を抱えながら
検査にあちこちと回され 汗だくだ。

医師と話が済むと車椅子で グッタリしながら一人ぼっちで診察室付近に 置き去りの母を見つけ飛んでゆき  私はごめんなさい
大丈夫?!と少しだが水分を母に補給させて
体を擦り続けた。
母は私の顔を見ると 項垂れた首を起こして
優しく微笑み 大変ね、何処に居たの?と。
母に申し訳なく涙をハンカチで
汗と共に一瞬で拭き取り
笑顔を返した。

不信感だらけながら今の母を帰宅はさせれない
在宅医療では 検査器具もなく
今回は病院に入院しかない
と困惑しながら 入院を願い出た。

その医師とは極力 私から話を度々重ねて
私と母の願い 気持ちを伝え
段々 信頼関係が生まれては来た。

母は現役時代に一人で 父親母親役を立派に
こなし 私と姉を豊かに育て上げて呉れた。
その激務の人生からか 晩年には
これでもか!?と母を幾多の病が次々と襲い
私は外勤を辞め在宅ワークをしながら
母と二人三脚で一つ一つの重たい病を入院
オペ 在宅介護で乗り越えて来た。

心筋梗塞 大腸癌の時には生死に関わり
私は雨の日も朝晩 お百度参りをした。
亡き父や神様のお陰  そして母の前向きな頑張りで奇跡の生還。
抱き合って歓喜し 母の頑張りを労った。

人それぞれ大切に懸命に人生を歩み
闘病も乗り越えて来たのに 餓死させるとは
今でも怒りの気持ちが点火させられる
老人とは病院 医師にとり 邪魔者なのか。

誰でも いつかは死を迎える。

心から信頼して 大事な親 家族を託せる医師に
診て欲しいと願うのは当然の事。

自分達世代が老いた先を想像すると恐ろしく成る。

私の病の医師 母の幾多の病で出逢った沢山いる医師の中で今 深い感謝を頂き続けて居る方は残念な事に片手位の数であり 

病院で様々な患者さんの ご家族や患者ご自身と知り合いが増え その中で耳にするのは
やはり医師 病院への不平不満で
中には転院させる事に踏み切り
家族の他に親族を集め カンファレンスで医師に怒鳴り やっと転院が決まったという話も 幾つか耳にした。特に老人を患者に持った ご家族は参って居る
私もだ
と胸の中で感じながら 話を聞いていたものだ。

ナースコールも介護士さんへ声を掛ける事すら出来ずにベッドに拘束されている患者さんの気持ちは
医療スタッフに伝わらないのか?
勿論、黙々と懸命に看て呉れた介護士さんの顔は今も感謝と共に覚えて居る

病院へ母を見舞うと言う感覚より
一日中居て介護をする状態の私は
危ないと感じる現場を 母を含め 沢山見て来たので

以前は連日 病院の母の元へ飛んで行って皆勤賞物で居たのが    毎日 終末期医療を受ける沢山の患者さんの様子を見たり ご家族の悩み相談を受けると
胸が締め付けられ
母が心配で 毎日 会いに そして様子を見に行きたいのだが 病院へ行く支度はしても
いざ行く時間になると ソファーに座り込み
行けない日が増えてしまった。
情けない! 私は?どうしたのだろうか

そうゆう日は必ず病棟に電話を入れ
母の様子を聞いたり 気をつけて看て欲しい点や
医師への伝言を頼み

転院を考慮し
ケアマネジャーに相談したり ネットで
色いろな病院に付いて  又終末期医療とは?
等 黙々と寝ずに調べて居た。

心の中で 母には必ず無事で居てね
今日は行かれずにごめんなさい
明日は早目に行くから!
を繰り返し
お仏壇に祈りを幾度も捧げていた。

病院 医師の件をめぐり 家庭崩壊に近い話を
聞いた時には 頷けた私であった。

次の投稿からは
引き続き 母の前向きな闘病
頑張りを綴ります。宜しくお願いします。






#心理士介護カウンセラー

#在宅介護 #病院 #終末期
#医師 #医療現場 #家族の悩み #転院
#誤嚥性肺炎
#患者さんの気持ち#胸の中#母と私#要介護5#餓死

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介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り~ 念願の新年‼️母のお誕生日

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎



いよいよ 新年 母のお誕生日の日。
まだ 暗い時間から 私は母の体調を測定して
母も 目覚めて居た。

今日は 新年よ~ 母上のお誕生日なのよ!!
本当に 良く頑張って呉れて有り難うね
体調は どう?
まだ 少し微熱は あるものの 脇の下のアイスノンを 外しての体温は まずまず。

身体の深部の熱も取れて 私は本当に嬉しく 朝5時から 朝食支度や ヘルパーさん 介護士さんらに
お手紙を 書いたり 母に大きな文字で
お誕生日カードを書いたり ドライアイの目薬を 両目に沢山 さして。

私は膠原病とベーチェット病の 日本で一つの症例らしく 東大病院では 論文を書いても良いかと 若い頃 病名を告げられ 同意を求められた経緯がある。
左目は 失明寸前に近く 母は特別室に入院させて呉れた………

他の大学病院でも 下の他の医師は驚き 入院手続きを と 言うものの 目がヨボヨボの 眼科の大家と謳われる教授が 異常なし と 驚く事を呟くと 目の疾患は ないものになる………
そのままだと 失明して居たが 自宅に帰る途中
私は地元の眼科クリックで 目の疾患を 直ぐに見つけて貰え その場で 何種類の点眼薬 クリーム目薬を両目にされた。

母が知り合い 東大病院の医師に会いに行って呉れて 翌日 至急 入院となり 今こうして
両目共に 近視では あるけれど 見えている。
こうゆう 経緯も あり 本当に 母と我が家で
新年 と お誕生日を 迎え 祝う事が出きるのは
様ざまな 困難 奇跡の連鎖。
有り難い

母も ワクワクしているのか 起きてみようかしら?等 身体を動かして居るのが オムツを換えたり 部屋の空気入れ換え 掃除があるので
少し 待って居てね と お茶に トロミをつけて
先ずは ベッドを80度お越し 枕 バスタオルで
頭を支え 口腔ケアーしてから 小さなケアースプーンで 食べてもらった。

さぁ 今日は 晴れて 素晴らしい元旦だ。
1日中頑張ろう・・
空気も凛と済み渡る。寒いけれど気持ち良い。

母は ふと姉の名を口にした。
何時も なかなか 口にしないが やはり心配なのか。私の胸に刺さった……
姉は
統合性失調症で 入院中だ。

暮れには 母の傍に介護士さんらが居る間に
姉へ
手紙や 差し入れのお正月に着る新しい服やバック 下着類 お小遣いを段ボールで 送ったばかりだ。

姉は 私が 母の病や 様々なオペ 入院を告げても
自分の言いたい事ばかりを 電話や手紙で相談して 母の具合を質問さえしない長い年月。
具合が 良くなり 退院しても あるだけのお金を、バンバンと 派手に使って父や 母にと
お供えや お見舞いを 手紙を 書いて来た事もない。
まして 母の終末期の 私の相談相手等に
なった事がない………

しかし 母はやはり 心の中で姉を案じて居たのだ……… 私も 母の最期のお誕生日になるならと
姉の存在が 脳裏を過り 年末に 手紙を
書いていた。
私としては 姉が 具合の良い時に せめて
母へ親孝行として お見舞いやお花 父へもお菓子やお線香ぐらい 何故? 寄越さないのか
幾ら 病でも 母が不憫過ぎると イライラする
事 怒る気持ちは 心の奥底に あった。

私は次女。 2才で 父が病で亡くなり
顔 声すら 覚えていない。姉は 父っ子で
何時も 父の話ばかりを 口にしていた。

でも 本当に今日は 最高に おめでたい佳き新年
複雑な 思いを 吹き飛ばし 父のお仏壇に
お正月のお供えや 花等 飾り お祈りをした。

段々 明るくなり 私は 母の好きな♪新世界♪や 新春らしい 音楽を流しながら 母の 朝食 お薬 ケアーを いつもより 丁寧に 精一杯の明るいアクションも 取り入れ 母を 笑わしながら
時間が おしい気持ちで 急いだ。

ピンポン♪ チャイムが なり
明けましておめでとうございます~と
若い男性のヘルパーさんが 元気に やって来た。

私も 珍しく 付きっきりでヘルパーさん 母に無断口を 聞いたり 皆で 笑ったり。
お母様 顔色良くなりましたね!
本当に おめでとうございますと ヘルパーさんが母と私に 嬉しい笑顔で 言って呉れた。
辛い表情の母を 見てきたから~
ヘルパーさんと母につなぎ寝間着の上に新しいベストや
カーディガンを着せ替えまた。春が
やって来た様に明るく母もお部屋も華やいだ。

母の痰は まだ あるものの 炎症反応CRPも
下がり 本当に良かった
嬉しくて沢山撮影をした。

お昼にはケアマネ介護士さんに診察や
巻き爪の足の爪切り等も丁寧にして貰った。
痰の吸引も
ゆっくり!しっかり介護士さんが
やって呉れた。 やはり吸引は辛い
母は我慢強く頑張り
咳をしながら 有り難うございますと
声も出る状態に戻って来た。

昼食は 遅れたけれど じょうずに 食べて呉れたので 本当に嬉しく 私は 気づいたら 何も食べずに3時近くになっていた。

ケアマネ介護士さんらに お誕生日おめでとうございます( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆と
晴れやかな元気な声で言って頂けて
母は美しい笑顔満面の表情を 見せて呉れた。
母は私の顔を見て 頷きながら 有り難うね…と
又愛情深い気配りを 呉れた。
人生で本当に一番幸せな元旦だ。

大分 母の顔色がよく
私は うっすら母にパウダーをはたいて リップを塗り 可愛い綺麗ね 気高くて 美しい母上よ( ^-^)ノ∠※。.:*:・’と
母に鏡を渡して ほら!見える?
ベストも似合うでしょ!
母が 可愛い 有り難うね…
少し休みなさいと 私を労って呉れた。
このまま 永遠に 時間よ 止まれ
私は母に抱きつきながら
10分位 心の中で 必ず 長生きして幸せに成ってね! 皆 母上のお陰よ。
幸せに暮らしまょ を 繰り返した。

おやつを 母のターンテーブルに
私の分も置いて 向き合いながら 少しお喋りしながら 楽しい思い出話に二人して笑った。

ピンポン♪ 夕方のヘルパーさんが来訪。
母は 沢山の 人が 来るので ビックリした表情。
私は 皆 母上を心配しながら 新年だから 会いに来て呉れるのよ と説明。母は、ニッコリ。内心はくたびれているのでは?
やはり心配しながら

その間 キッチン リビングを私は往復して お祝いと 夕食 お薬の準備をしていた。

いよいよ
皆が帰り 母の骨折している腰を庇いながら
車椅子に移乗させて ゆっくりリビングへ。
母は嬉しそうに 壁や リビングの飾り付けに手を伸ばして 私に沢山の笑みを 贈ってくれた。
最高のプレゼントを有り難うね
私は嬉しくて 子供みたいに
ハッピーバースデーを 何度も歌い 拍手を しつづけた。 母も 一緒に歌い 手を叩いて呉れた。

部屋を見回し やはり 私が居る 家が一番よと
母は 染々 口にして呉れた。
本当に 私の不手際で 母に辛い思いを沢山させてしまい 心の中では 泣き出して居たが……
母上 お誕生日おめでとうございます( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆
皆 母上のお陰です。
本当に母上の娘で世界一幸せです。
ずっと よろしくお願いしますと
母に挨拶をして ケーキに蝋燭を立て 母と二人で 笑顔を交わしながら ふーっ ふーっ ふーっと 消して 私は 母を後ろから抱きしめ
有り難うねを 繰り返した。

私の頭の中には 母の苦労 人生の軌跡
偉大さ
娘達へ深い愛情 幾多の病を晩年から二人三脚での在宅介護で 治療してきた長い年月
私の不手際で母を転倒 骨折させてしまってからの 日々 母の頑張り 表情 色々なシーンが回り巡り 胸は熱く 本当に カーディガンを脱いで居た。

こんなに幸せそうな 美しく 可愛らしい母を失いたくない
更に 私は 自らの命に 代えても 守る決意を強めた。
本当に 母上は 立派だ。
要介護5の 老婆には 全く見えない。
私の宝物。感謝一杯だ………