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病病介護を振り返り~ 退院に向けてカンファレンスNo.2

いよいよ カンファレンスの日が
来ました。

話が大腿骨骨折をしたときには
高熱40℃ 炎症反応CRp51
腰からお尻に大きな血腫!により 大出血
尿が出なくなり 尿管入る
意識失う日が数日続き 絶対安静
点滴から 多種の薬を入れ24時間点滴

心臓 喘息がある為に 少しずつ点滴を落とす
色々な環境の変化で 胃潰瘍が出来ぬ様にと防止薬

私は 嵐の日も お花 ケーキ プリン カーディガン等を 新しい購入しては 毎日必死に
母の部屋に 母に 会いに行った

ずっと眠って 居ても そっと
母の体を摩り 体を拭いて 皮膚科の薬をやさしく塗り 母に私の頬をつけて 生きる力
パワー 愛を懸命に 送り
語りかけ 歌を歌って……

看護士さん ソシャルワーカーさんに
沢山 話し合いを重ねて来た。

病院側はメンバーは 沢山のカンファレンス
私は一人だけれど母を愛する気持ちが
疲労して居る私の応援

皆がカンファレンスの部屋に一人 一人入って来る。 私は 一人一人に落ち着いて挨拶をしながら 着席する。
医師から ご家族は?
お嬢さん 今日はお一人ですか? と
驚きを見せた。

ええ 私は母のキーパーソンですから大丈夫ですと 持参したノートを広げ 日付 メンバーの名前を まず記した。

今の段階での 退院 自宅介護には 介護センター、ケアマネ…訪問介護の医師
どこが良いか
散々 私は寝ないで調べ尽くしていた。

もし、そこが 受けない!と 答えて来たら
この退院は 難しいと 考え抜き
医療に特筆した 医療センター訪問介護センターを 希望としている旨
母と私の 深い気持ちを 長い時間
伝えた。

医師は 繰り返し 母の検査記録の比較しながら
薬や天敵の変化
母の容態診察記録をいくども照らし合わせ
看護士長 担当看護士の話を
聞き 毎日通って来た私の母の変化を
聞き出し 総合的に

私の願っている 医療センターの訪問医師 ケアマネ
訪問看護士 ヘルパーの依頼に 賛成してくれた。

医療に特筆した 在宅介護センターは
唯一 此方だけなので 本当に嬉しかった

但し 準備手配があるし
一週間 まだ病院で治療中 母に新たな変化が起きなければ

又一週間後に 呼吸器科の医師 医療在宅介護センターのメンバー 市の担当者も含め
カンファレンスを 実施する事と 成った。

有り難うございます
今後とも よろしくお願いいたします
と 私の疲労が 飛び去り
医師に 皆さんに 大木な声で
お礼を述べた。

そして 最上階
特別室に入院して居る母の元へ
エレベーターの中でも 駆け足していた。

うん、必ず 母は大丈夫!!
母の頑張りで 確かに前進だ。
この先 私の負荷が増えようが悩もうが
母に 精一杯つくす!!
と 心に誓った。

私のノートの間には 亡き父の写真を入れて来た。 ソシャルワーカーから再三
私の体調を案ずる声が上がったが
私は死ぬ時は 母と一緒 本望だと 心の中で決意を深めていた

久しぶりに私は口紅を赤に塗り母の部屋へ歩いて行った。





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病病介護を振り返り~ 母の病院の帰途 ふと孤独感が…

病室を いつも後ろ髪を引かれる思いで後にする。

母の病室を 歩きながら 見えなくなるまで
元気でね お願い
神様 仏様 父上 母をお守りください……
祈り

街中は 煌めく クリスマスイルミネーションだ。
綺麗な世界☆☆☆

母に見せたい そういえば母と此れはみたわ! 始めは テンション上がっていたけれど ふと 悲しみ 不安
誰かに すがり 暖めて欲しい………と
ふと 思い 帰途 又涙した。

私は バチあたりな………何を一瞬でも
脳裏 心を 過った事を心底
反省して 深く 母に侘びた。

ようし!! 明日は
もっと はやく 早く 母に会いに行こう!!
思いを 新たにした。





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病病を振り返り~ 退院へのカンファレンス

母は 重症患者を示す 名前の前に赤記から 黄色になった

部屋に 飛び込み 母に抱きつき
本当に よく頑張って呉れて有り難うね!!

凄い 有り難う!!で 私は失語したみたいに 母を長く抱きしめ 母の呼吸を聞いて
母の美しい顔を眺め 母の薫りを 確かめて
本当に 可哀想な 辛い思いを させてしまって

余命宣告迄 息なり された母

後 名前の前の記が 白に成ったら
そろそろ 医師から 退院に向けての話が出てくる。

私は看護士さん 沢山の看護士さんに
母の様子を 聞いて回った。

気づくと 敬老の日から もう!!
クリスマスの時節に。

母が子供の頃
母の実感 田園調布の 大きな家で
家族で
讃美歌や クリスマスの歌を 幸せに過ごし
祖母は 教会に 通っていた。

だから母は クリスマスを毎年
楽しみにしていた。

なんとか! イブ 聖夜には 母を自宅に戻したい!
その 気持ち一心で 私は
医師に カンファレンスを ソシャルワーカーも
含め 早く 開いて貰える様に頼んだ。

余命宣告 なんて
今の母と私には 関係ない。

何よりも 生きている今
今が大切なのだ。

バタバタしても 訪問医師や ケアマネ 訪問看護
ヘルパー契約をしても クリスマスと
年末年始は 絶対に 母を 私がメイン
キーパーソンとなり 介護して
穏やかな 楽しい 環境で
母と共に過ごしたい

元旦は 世界一愛する 母の誕生日
必ずしも 無事に 自宅で 祝いたい
沢山の感謝 尊敬 労い 愛を
母に 伝えたい。

カンファレンスが行われる日が決まった。
勿論 悲しくも 大腿骨骨折してからは
母には 固形物は一切 病院から出ずに
まずい トロミをつけた物ばかり。

退院したら 私が 栄養あるオカズを作り
しっかりトロミもつけて 母の大好きなお茶
カルピス等 トロミをつけて 沢山
色々 口にして欲しいと

私自信 久しぶりに 気持ちが弾み
まだ 退院が 決まったわけでは
ないけれど 母にも 退院出来るのよ!

万歳 万歳 母上
素晴らしい 万歳\(^_^)/と告げた。

母も本当に? いつ?明日?
いつなの? と 目を輝かせて
共に \(^_^)/と 手を 頑張って上げてくれた。

果たして どうなるの?
絶対 亡き父や神様は 母を守り愛して下さる。 大丈夫!!

私は 母の介護をしながら
大丈夫!!を 繰り返し
満面の笑みを母に向けていた。





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病病介護を振り返り~ 信じられない友人の心

テーマ:ブログ

おはようございます .
介護療養介護を振り返ってを綴っておりますmarika75555です(^-^)まだ母を亡くして5ヶ月
悲しみも癒えません(T_T)
しかし私も難病で体が痛む中毎日祈りで母に感謝でいっぱいです。
かつて私の友達にご自分のお母様が肝臓亡くなるかもしれない夜にヨーロッパ旅行へ行ってしまった方がいました。
彼女と口論になりました。彼女が言うには自分は医者じゃない看護士でないから傍にいても何もできないじゃない?
自分の自由がなくなるわ!と言いました。
私と友人は口論に成りました。
たとえ何もできなくとも、手をさすったり声をかけたり体を揉んだり感謝しなきゃ!
その日が峠だったのだから看とるのが一人娘の役目じゃないかと私は言いました。
そういう事もあり心理カウンセラー・介護カウンセラーの勉強をし試験を受けました。
お陰さまで☆今までの長年の介護が実を結び合格いたしましたので_これからも明るく元気に綴って参ります。

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病病介護を振り返り~ 精神疾患の姉もかかえて

何故 私が難病なのに こんなに母を尊敬し愛して 全身全霊を尽くせるのか………

それには 勿論 私の手落ちで
母の寿命を短くしてしまい
世界一愛して居る母を 高齢に成ってからも
前向きで 女神様の様な 母を苦しませ。

その他に 事実だから はじめて
公表出来る事

私には 姉が居る。
昔は 綺麗で 品があり 頗る優秀で
母は勿論
親戚中 溺愛した姉が居る。

しかし その姉は受験生の頃
特質していつも都内優秀校で
連続1位だった為に
学校 先生方からの あまりにも期待が大きく
プレッシャーに 押し潰され
統合失調症に成ってしまった……………

一番最初に姉の異変を気づいたのは私。

姉はお願いだから 母には言わないでと
号泣しながら 私に 約束して 約束して
お願い

姉は 長女として いつか成人したら
母の片腕に成り 母を幸せにしたかったのに
お姉ちゃんには 出来なくなってしまったの

だから 絶対に 母には 秘密にしてと
3時間位
私にしがみつき 大声で泣いた後………

だから 此れからは 母を頼むわね
この家を 守ってね!約束 お願いねと。
私は まだ12歳………

事の重大さを把握しながら
姉を抱きしめ わかった わかったわ
わかったからね
安心して……………

お姉ちゃん 何もかも 大丈夫だからねと
子供なりの 精一杯の気持ちを
姉に 伝えた。

心の中で 重大事を
母に 秘密には 出来ない
姉を早期治療させないと
と 父にお祈りをした……………






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病病介護を振り返り~ 退院を目指して‼️

テーマ:ブログ

母は 痛みが強いものの 好物のフルーツやハーゲンダッツのアイスクリームを
殆ど介助なしで
食べれる回数が増えて
本当に私は感動感謝で一杯に。

しかし
尿は出ず…
尿を出す薬を服用させても不可能だと冷たく医師に言われた

母には担当の医師が数名ついており
個室の部屋は面会禁止の日や
重症患者の赤丸シールが
名前の前に貼ってある。

私は薬を試さずに切り捨てるなんて!と
医師に訴え
他の医師をつかまえては薬を恃んだ………

やっと2日後から…有り難くも
少しずつ尿が出てくれた!

あの医師の言葉は何??
母上……凄い

今度は尿管と尿袋を外し
前あきのオムツに成った。Msizeでも
ブカブカになり
母の陰部洗浄、オムツ換えや床擦れ防止の
体位変換も
看護士さんより
私は丁寧に
母に話を沢山しながら行った。

オムツの中で??
母は我慢してしまう事が増え
不快感に悩み

衛生上…可哀想だけれど
つなぎ
と言う特殊な寝間着?を着るようになった。
美しい母が と内心凄い辛い私
でも似合うわよと
母に話かけていた。

個室なのでクラッシク音楽を 私が毎日 流して センモウ 痴呆悪化を 防いでいた。私の居ない時には看護士さんに音楽を流す様に頼んだ。

母も
だんだん家に居る様な安心を覚えた様子で
こんなに広い個室は大変でしょ?

もう退院して大丈夫よ………を
繰り返す様になり
私は
赤丸シールが 早く 黄色 そして白に成れ
と益々 介護に奮闘開始した。

数日後
情けない事に
疲労 からか? 頚椎 腰椎のヘルニアも再燃してしまい 歩くのも無理で 腰にサポーター
松葉づえで タクシーで病室へ通う様になり

医師達に 母の炎症反応 全身状態
退院の目処等 話し合いのカンファレンスを依頼した。

広い病院での あちら此方への移動
腰を使う大きな動作で 病院より我が家で
看た方が 私の不可が減り
母も 落ち着いた気持ちで 闘病が出来ると
思った。

特別階
重症患者と いう母は 医療カウンセラーが
入院翌日から 着いていて 私は頻繁に 先々の方針を 伝え相談してきた。

良い話し合い カンファレンスで 良い結果を
帰宅しては 何度も 父 祖母に祈った………

本当に 母の努力 頑張りは素晴らしい物で
必ず 良い方向に 行くようにと
祈り に祈り 朝を迎えていた。



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#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎

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病病介護~

人生の幕引き
終いの棲家

此れは人生の中で 産まれた事と同じ位
重鎮な物… 病院 医師の事情に振り回されてはならぬ事。

あってはならぬ事が日常的に起きて居る現場を嫌と言うほど見聞してきた。

命を掛けて大切に介護を手厚く 私自らの人生 幸福を投げ捨てて 心身共に 母に寄り添い 同時に天に召されても… の決意!思いは 幾らカンファレンスをしても 医師には伝わらない。

子供を産み 手厚く 私達を愛育教育し 仕事に命を削り世に貢献して来た母が…
どんどん 変わりゆく姿を 見る辛さに耐え
笑顔で明るく 精神も体力も 全身全霊で 命とパワーを注ぎながら 入院中も在宅介護して居ても 手抜きはしない。

徹夜は当たり前 お風呂にも入れなくとも!

医師のみならず 看護士 又は訪問ヘルパー等の仕事ぶりを見て居ると まるで 老人を人として敬い 大事にする常識が無い 情けない。

誰しも年をとり 又は病に成り この世から天に召される定めを知らないのか 自分達はサイボーグ 永遠に不死鳥?と思って居るのか 悔しく残念で ならない。

医師や看護士らと何度 口論討論した事か 全て泡と消えさった。

私と 思いを同じくしている方は 沢山居る… 涙の湖を現場の人間達は知って居るだろうか。

制度が変わる前は赤ひげ先生の様な立派な医師が何人かいらした…

具体的に 此れからは 大切な母との頑張り 時を
振り返ってゆきたい…