霜月…………
晩秋〜に この世に誕生した私。
最愛なる母上様は ○○年前に
五体満足に 特別
産声が 大きな 〜 まるで 玉の様に
キラキラした
元気一杯な 男の子?みたいな 私を
この世に 生んでくださった。
父は 工芸作家として 日本伝統工芸展
出品作品創作に 取り掛かり 伊豆の山に
人間国宝の 恩師達と 籠もっていた。
分娩には
間に合わず
母上様は 一人で
難産では ありながら
豊かなる心で 気高く 静かに
私を この世に 誕生させて くれた。
父は 慌てて 帰郷……
東京に戻り K大付属病院では
私を お風呂に入れて
私を
あやす父の声が 病棟中に 朗々と
響き渡り
産婦人科の院長からは
熱心な お父様ですね
開闢以来 〜初めてですよ
と 母上様に 伝えて 目を細めたらしい。
想像すると 本当に有り難く
幸せな 娘である………。
母上様から 何回か 聞いた記憶があり
誕生日を 迎える 度に
母の 生存中は 母娘して 顔をみあわせ
笑顔になり
つい 吹いては ? 幸せを懐かしみ
父らしいわね と、 想いだしていた。
両親は
幼い 私を見ては 早くも 私の子供〜
つまり 孫の誕生を 心待ちに していたらしい
両親は 素晴らしいパートナーで在り
多忙で 難関な 仕事に 命がけで 頂点へ
登りつめて 行った。
この様に 偉大な 愛情深い父は 深く惜しまれ つつ………
母の全身全霊の 介護も 虚しく
私が 2歳 姉が 4歳 の 時に
心臓病で 天に召されてしまった。
嗚呼 いったい 何という
無念さ 辛さ 言葉を失う………。
最愛なる 我が母上様は
父親役 母親役 そして
父の 類まれな才能 人柄 を 敬い
難関な 父の技を 引き続き
昭和を 代表する 工芸作家と成り
一斉風靡して 父の無念さを
父の 最大なる 喜びに替え
更に 父が 唯一無二 尊敬 愛する
頼もしい 絶対的なる パートナーに
母上様は 成って居た。
幼い 私達 姉妹を 強い愛情で
包み込み 可愛がり
養育 愛育 豊かなる暮らし
豊かなる 教育 習い事…………
とても 人間の なせる業とは
思えぬ 偉大過ぎる 軌跡を
次女の 私に 命
天に召される迄 母上様は
見せて下さり
病病介護 〜 私が 難病 膠原病を 抱えながら
敬愛 尊敬
心底からの 深い 尊敬 愛が 有れば
在宅介護
最愛なる 母上様の 介護は
可能なのである❢❢❢
そして…………
最愛なる 敬愛なる
母上様が 天に召されてから
我が誕生日に 想い出すのは
在宅介護中に 私の誕生日を迎えた日に
母上様は 介護ベッドから 少し
身体を 懸命に起こしながら
私の為に
何十年間分の
ハッピー バースデーソングを
繰り返し 繰り返し 繰り返し
手を叩きながら
私には 楽しそうに 明るく
美しく 笑みを 浮かべながら
途中に 私に向かい NICE NICE
と 言いながら 歌って下さった。
内心
その時 私は 母上様が
お祝いしてくださる 私の誕生日は
今日が 最期……………と
物凄く 辛く 泣きたい気持ちでは
あった 。
けれど
母上様の 気持ち を 思うと
私も 懸命に 笑顔満面!!!
嬉しさ 喜び 一杯で
母上様の 顔を ひたすら見つめ
声を高らかに
拍手も 母上様と タイミングを
合わせ 楽しく 合宿した。
何と 偉大なる 母上様よ…………
そこ迄 考えて
幾度も 歌い 祝福して下さり………
今年の誕生日も
敬愛なる母上様が
私を 祝福してくださって居る。
あの 神々しい お姿
あの 母上様の 愛育こもった
ハッピーバースデーソングが
聴こえる。
今年は 有り難み 感謝一杯で
涙が 頬を 伝って居る。
霜月…………
晩秋〜に この世に誕生した私。
最愛なる母上様は ○○年前に
五体満足に 特別
産声が 大きな 〜 まるで 玉の様に
キラキラした
元気一杯な 男の子?みたいな 私を
この世に 生んでくださった。
父は 工芸作家として 日本伝統工芸展
出品作品創作に 取り掛かり 伊豆の山に
人間国宝の 恩師達と 籠もっていた。
分娩には
間に合わず
母上様は 一人で
難産では ありながら
豊かなる心で 気高く 静かに
私を この世に 誕生させて くれた。
父は 慌てて 帰郷……
東京に戻り K大付属病院では
私を お風呂に入れて
私を
あやす父の声が 病棟中に 朗々と
響き渡り
産婦人科の院長からは
熱心な お父様ですね
開闢以来 〜初めてですよ
と 母上様に 伝えて 目を細めたらしい。
想像すると 本当に有り難く
幸せな 娘である………。
母上様から 何回か 聞いた記憶があり
誕生日を 迎える 度に
母の 生存中は 母娘して 顔をみあわせ
笑顔になり
つい 吹いては ? 幸せを懐かしみ
父らしいわね と、 想いだしていた。
両親は
幼い 私を見ては 早くも 私の子供〜
つまり 孫の誕生を 心待ちに していたらしい
両親は 素晴らしいパートナーで在り
多忙で 難関な 仕事に 命がけで 頂点へ
登りつめて 行った。
この様に 偉大な 愛情深い父は 深く惜しまれ つつ………
母の全身全霊の 介護も 虚しく
私が 2歳 姉が 4歳 の 時に
心臓病で 天に召されてしまった。
嗚呼 いったい 何という
無念さ 辛さ 言葉を失う………。
最愛なる 我が母上様は
父親役 母親役 そして
父の 類まれな才能 人柄 を 敬い
難関な 父の技を 引き続き
昭和を 代表する 工芸作家と成り
一斉風靡して 父の無念さを
父の 最大なる 喜びに替え
更に 父が 唯一無二 尊敬 愛する
頼もしい 絶対的なる パートナーに
母上様は 成って居た。
幼い 私達 姉妹を 強い愛情で
包み込み 可愛がり
養育 愛育 豊かなる暮らし
豊かなる 教育 習い事…………
とても 人間の なせる業とは
思えぬ 偉大過ぎる 軌跡を
次女の 私に 命
天に召される迄 母上様は
見せて下さり
病病介護 〜 私が 難病 膠原病を 抱えながら
敬愛 尊敬
心底からの 深い 尊敬 愛が 有れば
在宅介護
最愛なる 母上様の 介護は
可能なのである❢❢❢
そして…………
最愛なる 敬愛なる
母上様が 天に召されてから
我が誕生日に 想い出すのは
在宅介護中に 私の誕生日を迎えた日に
母上様は 介護ベッドから 少し
身体を 懸命に起こしながら
私の為に
何十年間分の
ハッピー バースデーソングを
繰り返し 繰り返し 繰り返し
手を叩きながら
私には 楽しそうに 明るく
美しく 笑みを 浮かべながら
途中に 私に向かい NICE NICE
と 言いながら 歌って下さった。
内心
その時 私は 母上様が
お祝いしてくださる 私の誕生日は
今日が 最期……………と
物凄く 辛く 泣きたい気持ちでは
あった 。
けれど
母上様の 気持ち を 思うと
私も 懸命に 笑顔満面!!!
嬉しさ 喜び 一杯で
母上様の 顔を ひたすら見つめ
声を高らかに
拍手も 母上様と タイミングを
合わせ 楽しく 合宿した。
何と 偉大なる 母上様よ…………
そこ迄 考えて
幾度も 歌い 祝福して下さり………
今年の誕生日も
敬愛なる母上様が
私を 祝福してくださって居る。
あの 神々しい お姿
あの 母上様の 愛育こもった
ハッピーバースデーソングが
聴こえる。
今年は 有り難み 感謝一杯で
涙が 頬を 伝って居る。