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病病介護を振り返り〜緊急病棟へ入院した母よ ナンバー2


#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎

緊急病棟に入院して 連日 母の元に駆けつける私。

母の免疫力 気持ちがアップする様にと 
綺麗な花や 母の大好きな真っ赤な薔薇の花束
明るい色のストールやベスト 靴下を購入して
母にサプライズを繰り返した。
 
母は仕事人故に
私が連日 沢山の物を買って来るので
そんなに 大変でしょ?お金を使わなくて いいのよ、と 病人では無いような台詞を私に言うように 成った。
 私は
そのような事に頭が回るなんて
回復して来て証拠だわ!と 笑いながら
嬉しかった。

今日は医師に相談し
禁食の母に トロける美味しいプリンを
食べさせたいと申し出て オッケーを貰っていたのだ。

ケーキ屋さんの箱には母の好きな銀座の老舗銘菓が!
中には4つ入って居る。
え?と 母は 起き上がろうと頑張って呉れたので
私も嬉しく 母を ユックリ抱き寄せて
髪をとかし 熱々タオルで顔や四肢を拭いて
指も幾度も柔らかいタオルで拭いてから
オーバーテーブルを母のお腹辺りにセットし
上部をアップさせ 座位を整え

ハイ!母上の大好きな銀座のプリンよ。
ユックリ 一緒に食べましゃうね!

母は薔薇の花束と プリンに 目をキラキラと輝かせ
本当に綺麗な薔薇  それに食べるの?
ピックリした顔で微笑んで呉れた。
  有難うね 本当にいろんな事を有難うね
私に食べなさいと スプーンを差し出した。
 
私は母上らしいわね、
これは先生の許可を貰ってあるの!
母上の頑張りの賜物よ
二人で食べましゃうよ! 美味しいわよ
私も 嬉しく お腹が空いた(笑)

母は酸素がとれて自発呼吸に成り
熱は37.5度位に落ち着いて来たが
変わらずに心電 抗生物質点滴 氷枕。
  
母は食べられる幸せを噛み締めながら
このお店まで 行ったの?
美味しいわねと
私の労を幾度も労って呉れた。

介護士さんらも 何時も 真剣な顔つきだが
今日は まぁ 綺麗なお花に囲まれ
お嬢さんとスイーツ?
豪華ですね   ご褒美ね!と 
母に笑顔一杯に頑張りを 褒めて呉れた。
 
私は 嗚呼
早く今日にでも
母を退院させて私の介護で治したい!!と
早る気持ちを自重しながら
点滴の薬をメモしたり 心配なので
家から持参した器具で母のサチュレーションを
計ったりした。  

スマホで母の好きな曲をリピートして
聴かせたり
母の身体を 擦りながら 
一日模早く肺炎炎症が鎮静して 一般病棟に
移れないかしら?
と回復して又母を我が家に連れて帰りたく
願いながら 私もプリンに口をつけた。

嗚呼 幸せだ!
母は今回も必ず
回復してくれて居る。 良い方向に向かって居る!

私は大きな文字で
母にお便りと 似顔絵を描いて来た封筒を
渡した。
これは 私?こんなに若く綺麗じゃないわ と 
嬉しげに何度も似顔絵を見て呉れた。
 
本当に嬉しい
幸せな時間だ!
神仏に深く感謝して 母の頬にキスをした。
もう少しよ  声も出る様になり
本当に素晴らしい頑張りよ。

母上 万歳
母上 万歳
早く退院を目指しましょうね!!

私には担当医師の3人と
話し合い カンファレンスが待っていた。
必ず!良い話し合いだ!
張り切って ファイト!と
心の中に母の笑顔を思い切り焼けつけた。

#緊急病棟
#誤嚥性肺炎
#カンファレンス
#禁食
#美味しいプリン#母上#ユックリ#賜物

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病病介護を振り返り〜 母の居ない春分の日

     
#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎
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半年前に不憫な辛いお別れをして
涙を堪え 喪主として母の告別式を行い 施主として母の納骨式を執り行い 

母の存在しない春分の日を
迎えて居る。

母は女流工芸家ナンバー1として 父親役として
豊かに姉妹を愛育 教育 贅沢な習い事 留学まで
させて呉れた。 

客観的に見ても 母の様な尊敬感謝する方は
なかなか出逢いは なく 私には 母は全てであった。

最期の最期まで 不平不満を言わず
気高く美しく  立派であった。

だから母を誇りに思い 私の命のある限り
私の心と身体の中で 永遠に共に生き続ける。

母は生き神様の様な人であった。
私には どの様にしても
追い越せない雲の上の母。

晩年 そのような母と暮らし在宅介護に頑張れて
良かった………





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病病介護に振り返り〜 緊急病棟個室へ入院した母よ

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


翌日は昼間に病室に着いた私。

一般病棟の看護師さんとは異なり
男性の看護師さんも多く 腕が良く俊敏な仕事ぶりだ。

私がの提案や質問にも丁寧に掘り下げ
医学的知識も深い。

私が20歳代の頃
誤診に遭い 免疫系を破壊され膠原病とベーチェット病で3年寝たきり
痛みで紙すら握れず七転八倒していた。
失明の危機にも遭った。

その結果 結婚したての私は母と主人に心配と
大変な介護 苦労を掛けた……

膵臓裏の小さなランゲルハンスから分泌されるコルチゾールが出なくなり
少しのストレスや過労 異物ウイルス混入で 
全身 指から全て猛烈な腫れや痛みで立つ事も無理な状態に陥り
命さえ危険だった。

徐々に回復し奇跡的にアクティブな私に戻れたのは
母の深い愛
海外駐在員の辞令を幾度も命令されては辞退して呉れたエリートの主人の労りと介護
そして母譲りの私の意志の強さからだった。

その医療裁判に向け2年間
私は医学部で学んだ。必ず裁判に勝ち
家庭混乱 重篤な病の身体にされた私は初歩的なミスを侵した医師に反省して欲しかっだ。

そして尊敬し合っていた主人に力量を存分に
発揮して欲しくて私が身を引き離婚までに至った。
勿論 主人は仕事より私を選んで呉れたが 
私が足を引っ張るわけにはゆかない と悩み抜いた結論だ。

話が脱線したが
私が気力と母への愛で介護に自らの命を掛けられる理由はこの事件にも起因するからだ。

既に前回
 母は大腿骨骨折 寝たきりに成った時点で
余命を宣告されている。

しかし必ず! 私が母を幸せな気持ちで
再び 安泰で長生きさせると決意した以上
私自らの病を気力と薬をで余命を封印した。

抗生物質が菌に反応し効果が現れ
38度台に母のすざまじい41度の高熱が
下がり始めた。良かった!!

変わらずに管だらけで 心が壊れそうな私だが
男性看護師さんが  様々な苦痛や環境の変化により  癌や腫瘍が胃腸にできたら大変な事態になるからと
それを予防する注射を点滴管に注入した。
なる程…… 今迄 母がオペや長い入院の際には こういった処置 予防はなされなかったので
やはりICUに凖ずる 緊急病棟の治療は流石だと感じた。

私の誤診 入院の際にはステロイドを一日12錠!と
当時39キロの細い私の身体は副作用だらけで その中に酷い胃潰瘍 胃に水が溜まり
体重は20キロ台に減ってしまったものだ。
一年間 重湯しか口に出来なかった。
歩く様に成るまで
悔し涙を流し 一人黙々とリハビリに励んだ。

母には医師や看護師さんらが懸命に治療に
あたってくれて居る様子を目の前で見て居て
少し
私の心が穏やかに成った気がした。

母もサチュレーションが下がると酸素マスクを付けられ 状態が良い時は 鼻からの酸素で
私に 少し楽に成ったのよ………と
まだ苦しそうに身体を 捻じる様な動きも
見えたが
気持ちは同じく 落ち着いて不安げな顔つきから
柔和な時間が少しずつ 垣間見える。
楽観は駄目だが
必ず!大丈夫と母に繰り返し告げた。

必ず!!早く治してお家に帰りましょう
指切りげんまんよ と笑顔で母を抱きしめた。
二人で一つよ。
私の言葉に疑いを持たずに信頼しきって
闘病に励む 我が母の姿に胸を打たれどうしだ。

私がナースコールを押すと二人の看護師さんが
一瞬にして飛んで来て 私の質問や こうして欲しいと願い出ると直ぐに慎重に相談し
介護士長さんが答え説明に来て呉れた。

これには心強く 母も気配や丁寧な口調を耳にして
安心しながら
辛い治療に頑張ってくれて居る。
これこそ
救命病棟 救命病院の務めだと感じた。

未だに 在宅医療しているのなら
お帰り下さいと冷たく 口にした医師の言葉は何だったか?見殺しにするつもりか?
恐ろしさを痛感した。
あのまま 帰宅して居たら
助かる大切な命が~ 信じられなかった。

母は私が傍に居る姿を見て 手を繋ぎながら
安心した様に寝入った。

母の寝顔を見て  今迄 本当に感謝で一杯。
私は母の娘に生まれて世界一 幸せだと
心から誇りに思った。
何時も 何時も頑張りどうしね、本当に有難うね。

又必ず 在宅介護で 母の苦労 頑張りに
報い 親孝行に専念しよう!!と
気力が増した。


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#終末期医療#誤嚥性肺炎#緊急入院#緊急病院

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病病介護を振り返り〜 緊急病棟個室に入院した母

#在宅介護
#誤嚥性肺炎

病院・飲食店で大人気の除菌剤チャーミスト


私が入院道具を 自宅に取りに帰り 母の病室に 
戻れたのが 明け方4時半を回っていた。

母の顔を覗き込むと 高熱で疲労した為に
眠っていた。起こさぬ様に そっと手を繋ぎ
今日も一生懸命に私を信じ 頑張って呉れて
どうも有難うね  
 
本当に転倒さえ させなければ……
胸が傷み 酸素マスクや心電図 24時間点滴や 抗生物質点滴等 尿管も入って居て 改めて
私の至らなさを 自ら嘆き 悔やんだ。

私の幸せ 自由 人生より
最優先に母を守り生きて来たのに
私の力不足と愚かさが 母を苦しめて居る。

緊急病棟の休憩室へ行き 飲み物を口にしながら
自分の薬を一気に飲み込んだ。
入院書類を書きながら 誰も居ない長い廊下が
暗いトンネルの様に見えた。

私が代わって上げたい
母には何の落ち度もない………
世界一尊敬感謝し愛する母

朝の8時には担当医師が決まり
会える予定なので 病室に座りながら
泊まる事にした…
外来の医師だろう、 女医で有る。

この高熱は やはり肺炎だ
何故 眠って居る間のだ液さえ 誤嚥性肺炎を
招くのか。 口腔ケアーは丁寧に頻度高く行なって居る。
寝る姿勢にも 真夜中さえなおした。

何故か?理屈は分かっでいるが悔しかった。

 頻繁に繰り返す誤嚥性肺炎
残酷だと感じたまらない 優しく母の背中をメインに
擦り続けた!  

うとうと15分位 眠っては
夜勤の介護士さんに母の容態を聞いた。

そろそろ病棟が騒がしく 人の声か聞こえて来た。
もう夜が開ける。
病院の早い朝が開ける。

8時 私は冷たい水で顔を洗い
凛としていたくて薄く化粧 口紅を塗った。
しっかり! 母をより良い医療を受けさせたい。

先ずは介護士さんが母の検温
サチュレーション 血糖値
聴診器など 母に声がけをしながら
測定していた。
私は医師は誰が主治医か?
炎症反応や肺のレントゲン 心臓の動きを
聞きたいと 介護士さんにつたえた。

一時間後に 医師が入ってきた。
担当すると名乗る初めて見る男性の医師である。

細かい日常生活から遡り沢山の質問を私に矢継ぎ早になげ掛ける! 私も質問事項は 殆ど聞いて全て
何時もの如くメモをした。

2時間近くに及んだ初めての顔合わせ。
急変した際の延命も やはり問われた。

医師に返事を ゆっくり確実に答えて居ると
何故か ふと遠い昔が脳裏を過った。

私が幼い頃 母は仕事で多忙過ぎて
徹夜の毎日の中
沢山のお弟子さん 芸大生も泊まり込み仕事に励んで居る深夜に  
母は  姉妹並んで 寝ている私に
一緒に寝てあげれなくて 御免なさいね。
ママはお仕事なのよと
優しく私の頭を撫でて頬を付けて
優しく布団を 掛け直して
2階の仕事場へ急いで戻ってゆく雰囲気を
愛を感じていた。

その時 私は母がまだ寝ない事を3歳の幼い気持ちながら 一生懸命に広く長い階段を手摺に捕まりながら
見に行こうと
起きていた……

母にまだ起きていたの?と心配かけたくなく
咄嗟に場の雰囲気を感じて寝た振りをしたのだ。

何故?今 急に思い出したか不思議だけれど
現在は私が母の命を守る立場 ある意味
母の娘ながら 母をお母さんの気持ちに
成っていたのだ。

愛しい母
また必ず克服してください
私が幸せにしたいから
お願い。
二人で頑張りたいの……… 心底から願っていた。

医師は抗生物質を効果が現れない様なら
変える 濃厚な栄養剤 塩分
脂の点滴する等
治療方針の要を 私に話した。

私は毎日 来ますから!
母を宜しくお願いしますと挨拶をして
メインの医師は何名で、其々名前を聞いて メモをして 深く頭を下げた。

今 酸素は幾らですか? 不安で聞いてみた。
上手くゆけば明後日には酸素マスクを外せるかも知れないと。
長いトンネルから母が抜け出せる!!
必ずと医師の言葉を頭の中で復唱した。

暫く母は禁食だ。
また痩せて体力が落ちぬ様にと 
母の手を握り 胸を擦りながら
人の気配で 少し目を開けた母に
今ね、先生が来て大丈夫ですって!!
また二人で必ず頑張れば 家に戻れるからね!と
母の頬に オマジナイ!のキスをした。

母は安心と辛さで
直ぐに寝入った。母の手は
しっかり私の手を握り締めて居た。
本当に愛しい
早く苦しさが軽減します様に。

故父や祖母に懸命に祈った。


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病病介護を振り返り〜母の呼吸困難で救急車!さて入院か在宅医療か?

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


救急車が病院へ到着した。
母の酸素飽和度は酸素マスクのお陰で数値はアップしたが
高熱41度が不安だ。  

顔は真っ赤で やはり苦しそうである。

緊急処置室に運ばれた母。
私は待合室で長く待った。

救急車で駆けつけたのが、こんなに待たされるとは? 胸がドキドキ鼓動を打つ。
誰か 姉が精神疾患でなければ 直ぐに電話で
判断を医師に万が一 聞かれたら相談出来るのだが。

落ち着け 私! 
絶対大丈夫 
冷たいカン珈琲を片手に 神仏に祈る。

トントン 私は心配で立ち入り禁止の処置室に入り 母を見つけた!
数人の介護士さんらに 如何ですか?と母の容態を尋ねながら母の身体を抱いて頭をさすった。

検査は一応済んだらしいが口ごもる介護士さん達。
 
医師は?どちらに
結果は どうでしょう?!話を聞きたいと思わず
強い口調に成っていた。
私の目は 母の目と見つめ合っていた。

10分後に医師が3人現れた。 
様々な検査数値は聞けた。
入院の状態だ!
 しかしながら
医師からは 在宅介護 在宅医療を受けてますよね?
入院は なさらない方が良いですよ。 

在宅介護 在宅医療をしているのならば
家での看取りを覚悟したはずですよね。

私は驚き  最終的に無理と判断された時には
我が家で看取りをしたいとは 確かに告げましたが 
今は母は覚醒していて  病院で診て頂ければ助かり治ります!こんなに高熱でも 私には、しっかり頑張って意思を伝えてくれて居ます!もう看取りを︙!
私は疑問を抱き 
一番年長の医師に 早く治療をお願いします。

経口で嚥下食や薬も摂れます。
内臓の働きも落ち着いて居ます。

医師は緊急病棟に連絡を入れ 私に分かりました。

今から緊急病棟へ上がります…

私は有難うございます。母を必ず助けて下さい
訪問医師には今から連絡します!

私は介護士が迎えに来るまで
又待合室に出された。
何とか入院に  しかしあの医師がいなかったら?
頑張って居る母が不憫で頭に血が上り

老人を大事な命を侮るな!
廊下で思わず涙を何滴か落とし叫んだ!

母が処置室から介護士さんらにタンカ押され緊急エレベーター。
緊急病棟広い個室へ!

なんとナースステーションの真ん前だ。
早速 酸素 点滴治療スタートし
介護士とパジャマへ着換えを手伝いながら
母には 又お風邪を引いちゃったのよ、早く病院に来たから直ぐに 良くなるからね!と
笑顔を見せて 手を繋いだ。

母は辛いのに又
綺麗な瞳を私に見せてくれた。
うん と言う仕草を答えて呉れた。

これで 帰宅させようとした医師団を
改めて悔しく思い返してしまった。

この気持ちをバネに私は毎日
母の元に通う!心に誓った。

母には ユックリと目を瞑り 眠ってね。
今から 入院に足りない物を急いで
持って来るわね。安心してね。
直ぐに戻るわ!

母は少し不安げな寂しそうな顔を私に
向けて こうこうと明るく電気がついた広い部屋の
ベッドに管だらけで 

私は母に 頑張ってね!二人で一つよ。
必ず又お家に早く戻れるから。
心の中で呟き…祈る。

ナースステーションにいた介護士さんらに
脇の下にもアイスノンと 電気を少し暗くする旨
頼んで タクシーでまっしぐら我が家へ急いだ。






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#かんたん投稿#介護士さん#又#直ぐに#広い個室#医師団#待合室#酸素マスク#介護日記#介護者

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介護

病病介護を振り返り〜母の誤嚥性肺炎 救急車で病院へ!さて どうするべき人生??

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


毎日毎日 母の頑張りは素晴らしく 賞賛に値する物だ。
私の生命力 励みに繋がる物。
誇りに思う毎日  我が母上 感謝で胸が熱いわ。

私なら自らの不自由さ、食べ物も変わり
ベッドに柵  到底 ストレスが溜まり 大声を上げたり
たまには我儘を言ったりしそうな物を と常に感じていた。

母のレビー認知症が 骨折の痛みや 皮膚炎が鎮静せずに辛いためか 珍しく
母の部屋には居ない 母の姉や兄弟を 手を差し伸べて 呼び止める幻視が 日により 増えていた。

他に体調が悪い為か?私は心配で落ち着かず
ケアマネ 介護士さんらに頻繁に報告していた。

が、私が代わりに返事をし 手を握ると
1時間くらいで 落ち着いて呉れた。

医師に報告し 認知症の薬は混濁した意識の時は
更に興奮を強めるから初めて レビーの薬服用はストップしていたが 母の体力が心配で
睡眠薬として 就寝前に 母の好きな トロミ付けたカルピスを私が 愉快な話をしながら 服用スタート再開した。

直ぐに効くはずもなく  私は殆ど徹夜で
母に語り掛け 手を繋ぎ 母に歌を聞いて貰ったり
気持ちが落ち着く努力をしていた。
たまに うとうとして 綺麗な穏やかや寝顔を綿に見せて呉れた。

3日目した位に  朝、母の額にアブラ汗を感じた。
丁寧に蒸した熱々タオルで 少し冷ましてから 何度も繰り返し拭いたものの 30分過ぎると 額がねっとりして来るのだ。

検温は37度。 肺炎予報の抗生物質も鎮静解熱剤も
頑張って服用してくれて居るが 母の元気度も下がり
辛そうだ。 痰は特に粘りは無かったが 一応吸引したり 酸素サチュレーションを度々 計ってみた。

うん?!!
いきなり酸素の値が下がり 母は苦しいと
全身をガクガク震わせ  顔は蒼白
くちびる 舌 爪も白!

私は 母に安心してね!
ユックリ 私と深呼吸しましょう
大丈夫だからね
と布団を掛けて 又検温を繰り返した。

母と私は信頼しあい お互いの目を見て
母は頷いてくれて 私の呼吸に合わせて呉れた。

サチュレーションを見ながら私は 心臓か?
肺炎か?心配と 母を抱きしめ 冷や汗が出たが笑顔は絶やさず 訪問医師を呼んでいたら
間に合わない?と 母と手を繋ぎながら
救急車をスマホで呼んだ!

母上 寒い?大丈夫よ。
直ぐに病院へ一緒に行くから安心して ユックリ深呼吸しましょう!!
母はワタの目を しっかり見て うん
と答えて呉れた。

救急車のサイレンが聞こえるまで
ひたすら 母を励まし 時には 私の酸素を母に移した。  

頭のなかでは余命宣告の医師の言葉 急変が
渦巻いたが 母の意識がクリアなのが救いで
大きな声で 母に息を吸って  ユックリ吐いて
と私も繰り返した。

救急車のサイレンが身近に聞こえてきた。
訪問医師には 後で 相談しよう!

隊員達を家に上げた。
母の顔色 聴診器 血圧測定しながら 私に質問してきた。数日前の様子と 今に至る経過を端的に報告して  母を頼みます!!
と頼み 私は入院支度を手早く準備。

いつもの第3次高度医療病院へと隊員に告げた。

母には大丈夫、安心してね
と髪を撫でた。
 
母は救急車に運ばれ 私も飛びのり
更に詳しく持病 服用崩し 訪問医師などを告げた

隊員は深呼吸させて居たんですね、良かったと私の顔を見て
母には即座に酸素マスクが装着された。

今 41度有りますよ
その寒気と呼吸困難な状態と聞いて
私は37度でしたよ??

救急車に乗り 急激に上がりました
と 行き先の病院へ隊員が連絡している。

母の額に冷たいタオルを乗せて
私のコートを更に寒くない様に母に掛けた。

オッケーでした!病院へ向かいますね
隊員も 心配そうに母の様子を見て居る。

私は ひたすら母に大丈夫だからね?を繰り返し
ガタガタ揺れる道
母の身体を抱きしめた。
 隊員がお嬢さんは危ないから座ってくださいを連呼していたが   私の目を見ながら頑張って呉れた母に 有難うね  大丈夫よ!を
繰り返し 私は心配とヘルニアの痛みで
汗が車内に落ちた!

もうすぐ着くから 安心してね!!

母は目を開けて私を見て呉れた。


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#呼吸困難
#高熱
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#在宅介護
#酸素

#酸素マスク#在宅介護#母と私#母の様子#大丈夫だ#私の目#手早く#要介護5#介護日記#呼吸困難

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病病介護を振り返り〜母を亡くし半年して脳裏に過る事NO2

#在宅介護
#誤嚥性肺炎



昨今 カウンセラーの仕事をスタートした事も加え
最終期老人医療の現実を再び目の当たりにして

あまりにも 母に残酷で不憫な思いをさせて
唯一無二の私の愛する母と哀しい別離を涙し
無念さは生涯消えない。

当時は一日一瞬がガムシャラ全身全霊と深い祈りで
在宅 病院 施設に渡り介護と愛 私のパワーを母に捧げて盲目必死であった。

在宅介護 在宅医療をしていた際に母は 誤嚥性肺炎を起こし キーパーソンの私にヘルニア 喘息発作の悪化で初めて掛かる病院をケアマネジャーから紹介され 母を介護タクシーで連れてゆき即座に丸一日掛けて車椅子で検査に回され 結果を聞く段階で担当医師に初に出逢った。

開口一番 医師は自分の親なら餓死させる
昔は 僧侶が死を悟ると自ら土に穴を掘り お経を唱え亡くなったと。

その話は知って居たが あまりにも餓死とは?いきなり
医療の現場か?と耳を疑った。

母と私の体調が悪い中で
 母に明るく声を掛けながら車椅子を押しつつ
私は重たい入院荷物を抱えながら
検査にあちこちと回され 汗だくだ。

医師と話が済むと車椅子で グッタリしながら一人ぼっちで診察室付近に 置き去りの母を見つけ飛んでゆき  私はごめんなさい
大丈夫?!と少しだが水分を母に補給させて
体を擦り続けた。
母は私の顔を見ると 項垂れた首を起こして
優しく微笑み 大変ね、何処に居たの?と。
母に申し訳なく涙をハンカチで
汗と共に一瞬で拭き取り
笑顔を返した。

不信感だらけながら今の母を帰宅はさせれない
在宅医療では 検査器具もなく
今回は病院に入院しかない
と困惑しながら 入院を願い出た。

その医師とは極力 私から話を度々重ねて
私と母の願い 気持ちを伝え
段々 信頼関係が生まれては来た。

母は現役時代に一人で 父親母親役を立派に
こなし 私と姉を豊かに育て上げて呉れた。
その激務の人生からか 晩年には
これでもか!?と母を幾多の病が次々と襲い
私は外勤を辞め在宅ワークをしながら
母と二人三脚で一つ一つの重たい病を入院
オペ 在宅介護で乗り越えて来た。

心筋梗塞 大腸癌の時には生死に関わり
私は雨の日も朝晩 お百度参りをした。
亡き父や神様のお陰  そして母の前向きな頑張りで奇跡の生還。
抱き合って歓喜し 母の頑張りを労った。

人それぞれ大切に懸命に人生を歩み
闘病も乗り越えて来たのに 餓死させるとは
今でも怒りの気持ちが点火させられる
老人とは病院 医師にとり 邪魔者なのか。

誰でも いつかは死を迎える。

心から信頼して 大事な親 家族を託せる医師に
診て欲しいと願うのは当然の事。

自分達世代が老いた先を想像すると恐ろしく成る。

私の病の医師 母の幾多の病で出逢った沢山いる医師の中で今 深い感謝を頂き続けて居る方は残念な事に片手位の数であり 

病院で様々な患者さんの ご家族や患者ご自身と知り合いが増え その中で耳にするのは
やはり医師 病院への不平不満で
中には転院させる事に踏み切り
家族の他に親族を集め カンファレンスで医師に怒鳴り やっと転院が決まったという話も 幾つか耳にした。特に老人を患者に持った ご家族は参って居る
私もだ
と胸の中で感じながら 話を聞いていたものだ。

ナースコールも介護士さんへ声を掛ける事すら出来ずにベッドに拘束されている患者さんの気持ちは
医療スタッフに伝わらないのか?
勿論、黙々と懸命に看て呉れた介護士さんの顔は今も感謝と共に覚えて居る

病院へ母を見舞うと言う感覚より
一日中居て介護をする状態の私は
危ないと感じる現場を 母を含め 沢山見て来たので

以前は連日 病院の母の元へ飛んで行って皆勤賞物で居たのが    毎日 終末期医療を受ける沢山の患者さんの様子を見たり ご家族の悩み相談を受けると
胸が締め付けられ
母が心配で 毎日 会いに そして様子を見に行きたいのだが 病院へ行く支度はしても
いざ行く時間になると ソファーに座り込み
行けない日が増えてしまった。
情けない! 私は?どうしたのだろうか

そうゆう日は必ず病棟に電話を入れ
母の様子を聞いたり 気をつけて看て欲しい点や
医師への伝言を頼み

転院を考慮し
ケアマネジャーに相談したり ネットで
色いろな病院に付いて  又終末期医療とは?
等 黙々と寝ずに調べて居た。

心の中で 母には必ず無事で居てね
今日は行かれずにごめんなさい
明日は早目に行くから!
を繰り返し
お仏壇に祈りを幾度も捧げていた。

病院 医師の件をめぐり 家庭崩壊に近い話を
聞いた時には 頷けた私であった。

次の投稿からは
引き続き 母の前向きな闘病
頑張りを綴ります。宜しくお願いします。






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介護 余命 在宅医療

病病介護を振り返り〜 母を亡くし半年の私の脳裏に浮遊する現実!!

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皆様おはようございます

病病介護を振り返り〜を綴って居ります介護心理士カウンセラーmarika75555 です
最愛なる唯一無二の母親を孤独で本当に無念なお別れ

天国へと見送り半年がたった今
私の脳裏に浮遊する事は患者の担当医との出会いとは?
人生の中で大切な帳を下ろすまでの関わり方
介護士諸々スタッフを含めて〜

必然であるか?偶然か?きちんと会議された結果のご縁なのか?オートメーション化された行きずりなのか!

終末期医療現場に謎を感じて居ります。 

皆様 大切な ご家族を守るために
どうか 医師との話し合いを躊躇わずに 些細な不安心配な
事柄に付いても 納得ゆく迄 お話なされて下さいませ。

素晴らしい医師とのご縁を願って居ります!

季節の変わり目は ご存知の様に体調を崩し易いです。
大切に介護に明るく 頑張って参りましょう!!