翌日は昼間に病室に着いた私。
一般病棟の看護師さんとは異なり
男性の看護師さんも多く 腕が良く俊敏な仕事ぶりだ。
私がの提案や質問にも丁寧に掘り下げ
医学的知識も深い。
私が20歳代の頃
誤診に遭い 免疫系を破壊され膠原病とベーチェット病で3年寝たきり
痛みで紙すら握れず七転八倒していた。
失明の危機にも遭った。
その結果 結婚したての私は母と主人に心配と
大変な介護 苦労を掛けた……
膵臓裏の小さなランゲルハンスから分泌されるコルチゾールが出なくなり
少しのストレスや過労 異物ウイルス混入で
全身 指から全て猛烈な腫れや痛みで立つ事も無理な状態に陥り
命さえ危険だった。
徐々に回復し奇跡的にアクティブな私に戻れたのは
母の深い愛
海外駐在員の辞令を幾度も命令されては辞退して呉れたエリートの主人の労りと介護
そして母譲りの私の意志の強さからだった。
その医療裁判に向け2年間
私は医学部で学んだ。必ず裁判に勝ち
家庭混乱 重篤な病の身体にされた私は初歩的なミスを侵した医師に反省して欲しかっだ。
そして尊敬し合っていた主人に力量を存分に
発揮して欲しくて私が身を引き離婚までに至った。
勿論 主人は仕事より私を選んで呉れたが
私が足を引っ張るわけにはゆかない と悩み抜いた結論だ。
話が脱線したが
私が気力と母への愛で介護に自らの命を掛けられる理由はこの事件にも起因するからだ。
既に前回
母は大腿骨骨折 寝たきりに成った時点で
余命を宣告されている。
しかし必ず! 私が母を幸せな気持ちで
再び 安泰で長生きさせると決意した以上
私自らの病を気力と薬をで余命を封印した。
抗生物質が菌に反応し効果が現れ
38度台に母のすざまじい41度の高熱が
下がり始めた。良かった!!
変わらずに管だらけで 心が壊れそうな私だが
男性看護師さんが 様々な苦痛や環境の変化により 癌や腫瘍が胃腸にできたら大変な事態になるからと
それを予防する注射を点滴管に注入した。
なる程…… 今迄 母がオペや長い入院の際には こういった処置 予防はなされなかったので
やはりICUに凖ずる 緊急病棟の治療は流石だと感じた。
私の誤診 入院の際にはステロイドを一日12錠!と
当時39キロの細い私の身体は副作用だらけで その中に酷い胃潰瘍 胃に水が溜まり
体重は20キロ台に減ってしまったものだ。
一年間 重湯しか口に出来なかった。
歩く様に成るまで
悔し涙を流し 一人黙々とリハビリに励んだ。
母には医師や看護師さんらが懸命に治療に
あたってくれて居る様子を目の前で見て居て
少し
私の心が穏やかに成った気がした。
母もサチュレーションが下がると酸素マスクを付けられ 状態が良い時は 鼻からの酸素で
私に 少し楽に成ったのよ………と
まだ苦しそうに身体を 捻じる様な動きも
見えたが
気持ちは同じく 落ち着いて不安げな顔つきから
柔和な時間が少しずつ 垣間見える。
楽観は駄目だが
必ず!大丈夫と母に繰り返し告げた。
必ず!!早く治してお家に帰りましょう
指切りげんまんよ と笑顔で母を抱きしめた。
二人で一つよ。
私の言葉に疑いを持たずに信頼しきって
闘病に励む 我が母の姿に胸を打たれどうしだ。
私がナースコールを押すと二人の看護師さんが
一瞬にして飛んで来て 私の質問や こうして欲しいと願い出ると直ぐに慎重に相談し
介護士長さんが答え説明に来て呉れた。
これには心強く 母も気配や丁寧な口調を耳にして
安心しながら
辛い治療に頑張ってくれて居る。
これこそ
救命病棟 救命病院の務めだと感じた。
未だに 在宅医療しているのなら
お帰り下さいと冷たく 口にした医師の言葉は何だったか?見殺しにするつもりか?
恐ろしさを痛感した。
あのまま 帰宅して居たら
助かる大切な命が~ 信じられなかった。
母は私が傍に居る姿を見て 手を繋ぎながら
安心した様に寝入った。
母の寝顔を見て 今迄 本当に感謝で一杯。
私は母の娘に生まれて世界一 幸せだと
心から誇りに思った。
何時も 何時も頑張りどうしね、本当に有難うね。
又必ず 在宅介護で 母の苦労 頑張りに
報い 親孝行に専念しよう!!と
気力が増した。
価格:3,700円 |
価格:4,500円 |
1セットまでメール便OK 青ヶ島の極上塩 「ひんぎゃの塩200g 2個セット」 価格:2,116円 |
#終末期医療#誤嚥性肺炎#緊急入院#緊急病院