我が最愛なる亡き母上様の 闘病 通院
そして オペ 入院 の際には……
入念に 丁寧に
病院ランク 高度救命 医師の手腕 人柄について
東京~ 横浜時代 終末期
○○年 長年に及び
深堀して 検索 口コミ 紹介 諸々〜
丹念に 調べ上げ
母上様を 託したもの。
勿論 介護キーパーソン 舵取りは私。
要介護5 …… 臥せっている 母を 見て
役所の認定委員は
毎回 ハンコウを ついた様に
判断を下した。 毎回 毎回……
病が重い時 流ちょうな 会話
ハツラツとした 表情を 誰が
作れる?で
あろうか。
高名な 工芸作家 で あった 母すら
具あい悪く 寝入っといる際に
芝居は 出来るすべ等 ない。
在宅介護
それも 愛娘である 私が
人生の選択肢に おいて
自分の幸せ 健康 より
最優先にて 母上様への 恩返し
幸せ追求 介護❢ を 選んだからこそ
要介護5の 患者様には 見えない!
美しく 気品ある 素晴らしいお母様だと
とこの 誰からも 賞讃され
私は 誇らしく 母を愛し
宝物であった。
唯一無二の 私の生き甲斐。
母自らの 生き様 日頃の心 行い
が 生み出す 雰囲気 個性ではある。
そして 愛娘の私が 命 魂を 捧げ ながら
共に暮らし 介護をした 愛の証 とも
云われた。
病気 だから と
病院 介護施設に 入れていたら
要介護5の 人となりに 染っていただろうと。
病人 老人にも 人権 プライド!
そして 老後は こう 生きたい
終末期には
この様に 暮らしたい
それぞれ 願い 希望は ある。