昼間は 秋晴れに恵まれて
暖かな 陽射しを 身体に浴びて 心地よい
朝は 寒く 昼間は 陽射しに パワーを貰え
気力と 母への祈りで 奮闘した
真冬に なる前に 出来る限り リハビリお散歩❣
しよう
みなとみらいまで 足を延ばした
秋晴れ 晴天 白い雲
心地よい〜 有り難き 豊かな時間
ランドマークで
ずっと 昔
母と 電飾音楽 クリスマス🎄ツリーに
見惚れた メモリーを 彷彿し
痛む足を 庇いながら よってみた。
温かな 母の ぬくもりを 身近に 感じ
懐かしいわね 覚えている?
私を 上手く お写真を 撮ってくれて
感動しながら 見ていたわね
検査疲れ 寝不足 移動疲れも
吹き飛び
暖かな 世界に 私の瞳は 輝いた…
しかしながら 本当に 何故!?
膠原病 ヘルニア 喘息を抱える 私が
最愛なる 母上様を 共に天に召される覚悟
深い感謝 尊敬の 一念から
愛深い介護から 医療費 個室代
そして
終末期には 告別式の 用意全て……
24時間 等
寝ずにとも 取るに足りぬ 時間
もっと 長く 母の傍らに ずっと
寄り添い 母をみたかった…
姉は 精神疾患が アクティブしていて
何一つ 最期の 最期迄
親孝行 介護 医療費 支払い
医師との カンファレンスさえ
一度たりとも 力を 奮った事は無い…
このような事は 人の世 家族の社会で
あって 終わりで 済むので あろうか!?
母の意識が しっかりしていれ時には
立派すぎるほど 立派な母は
度々 私 に 涙を流しながら
あのような 娘を 産んでしまい ごめんなさいて
土下座する様に 幾度か… 私に 誤っていた
あまりにも 母が 不憫で
私は 母をだきしめ 母の責任は 全くない事
誰の責任でもない
そして 姉も自ら 好んで 精神疾患に
成ったわけじゃなし
私は 必死に 母を励まし 私なら大丈夫よ…
を 繰り返したものの
終末期の大変さ
そして 病の私が 介護しおわり
喪主として 浮きまわるには
体力 気力は 絞り出す様に 真夏に
命を 掛けて 奮闘していた
まして 杜撰な 医師の 判断ミスで
母は 家に返して貰えずに
杜撰な病院にて 意識を亡くし
私は 勿論 その日も 朝から
遠くの 母の居る病院へ 駆けつけたが
間に合わなかった…
このように 杜撰さ あり得ぬ不可思議な
大問問が 重なって 良いのであろうか…
母は 生前 亡くなる場所は 我が家
私がいる場所との強い医師を持ち
笑顔で懸命に 前向きに 頑張ってくれた
私も 長年 在宅介護してきた 要介護5の
母を 心底 尊敬 愛して 感謝一杯の 気持ちから
最期は 更に 命を掛けて 我が家で
介護し この世の帳を降ろす際には
私の 腕の中でと、決めていた…
母は 次女の 私はかりに 世話 解雇 面倒を
見させて 難病の私を 案じるが故に
葬儀に 姉を 呼ばない様に…… これ以上
私に 姉が 迷惑や 嫌な思いを 私に かけたら
……済まなすぎる と 苦しみ
姉が 大学 休学長いの頃には
実際は 出来るわけはないのであるが、
母は 責任を感じながら あの子の病は
一生掛けて ママば治す!
万が一 治らなかったら あの娘を 殺してから
ママも死ぬ! と 母親であり 父親であり
一斉風靡した 才覚 実力者の 母は 私の幸せ、将来を、考え こう 言ってた事が 私の心に
深く 鮮やかに 残って居る……
姉は 母と私の 深すぎる悩み苦しみ
そして 言葉では 言い表せぬ 難しい問題が、潜んでいる。
母は天に召される迄私の健康 幸せ
そして 仕事 介護で 子供を諦めた私を 深く
不憫に 常に 案じて居てくれた……
この 大問題は 最愛なる母上様と愛娘の私
そして 神仏様しか 預かり知らぬ事…