昨日は 御ひな祭り
母は昭和 を代表する 工芸作家で第一人者
であった。
父親 母親が 揃って居ても
経済的 才覚 技能 手腕……
至難の技
そして まだ 2歳 4歳の
姉妹 当時の私達は
相談相手にも なれなかった。
私は 何故か ただ 毎日
祖母 母の 見様見真似で
小さな手で お供えを 準備し
お座布団に座り
火事に気をつけて
父の お仏壇に 長く手をあわせ
母の健康を 祈る女の子で あった。
忙しく 徹夜続きの母の事が
幼心でも 心配でならなかった。
簡単に我が家でも 母に近寄れず
気高く 美しい母の 動きを
ひたすら 目で追いながら
小さな胸は 母を 誇らしく思いながら
心配で 心配で 悪戯さえ しなかった。
私が 幼稚園に入る時も
徹夜の体でも 母は 美しい笑顔で
私には ワンピースを誂え
手を優しく繋ぎ 入園式にも
参列してくれた。
忙しく仕事し 指導 交渉する立場でも
日々 奔走する身体でも
母のオーラは 素晴らしく
子供ながら ドキドキし
誇らしげだった。
今の私とは 月スッポンである!
私の不注意から
老後 寝たきりに してしまった。
この
償いは 永久に継続する
悔いて ならない
自らが 嫌になり 母が不憫過ぎる!!
母の死から 二年近くなる。
それまで
母の作品は 全て完売 又は展覧され
昨年 私の手に やっと戻り
遺作を丁寧 に飾り
母の死に
自責
無念さを深く 抱く私は
ゆっくりゆっくり 鑑賞出来ずに居た。
今夏は 母の三周忌だ………
思い切り 作品を
愛を込めて 今年は飾り付け
あらためて 母の偉業
に感銘し 雛まつりの歌を
闘病中の私は 必死に歌唱し
母の軌跡を 賛美 拍手した。
生花を母の為生けた
私は まだまだ頑張らなきゃならない
母の娘として 恥じぬ様に。
昨夜は 嬉しいながら
何故か 考え込み
母に陳謝の気持ちを 祈り
伝え
愛 尊敬 感謝を
長く語りながら
お経も 唱え
朝に なって居た。
雛まつりとは
初節句だけではない
両親 母に感謝する日だ
私の命有る限り
雛まつりを お祝いしよう❣❣❣
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