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介護 余命 在宅医療

病病介護を振り返り〜 緊急病棟個室に入院した母

#在宅介護
#誤嚥性肺炎

病院・飲食店で大人気の除菌剤チャーミスト


私が入院道具を 自宅に取りに帰り 母の病室に 
戻れたのが 明け方4時半を回っていた。

母の顔を覗き込むと 高熱で疲労した為に
眠っていた。起こさぬ様に そっと手を繋ぎ
今日も一生懸命に私を信じ 頑張って呉れて
どうも有難うね  
 
本当に転倒さえ させなければ……
胸が傷み 酸素マスクや心電図 24時間点滴や 抗生物質点滴等 尿管も入って居て 改めて
私の至らなさを 自ら嘆き 悔やんだ。

私の幸せ 自由 人生より
最優先に母を守り生きて来たのに
私の力不足と愚かさが 母を苦しめて居る。

緊急病棟の休憩室へ行き 飲み物を口にしながら
自分の薬を一気に飲み込んだ。
入院書類を書きながら 誰も居ない長い廊下が
暗いトンネルの様に見えた。

私が代わって上げたい
母には何の落ち度もない………
世界一尊敬感謝し愛する母

朝の8時には担当医師が決まり
会える予定なので 病室に座りながら
泊まる事にした…
外来の医師だろう、 女医で有る。

この高熱は やはり肺炎だ
何故 眠って居る間のだ液さえ 誤嚥性肺炎を
招くのか。 口腔ケアーは丁寧に頻度高く行なって居る。
寝る姿勢にも 真夜中さえなおした。

何故か?理屈は分かっでいるが悔しかった。

 頻繁に繰り返す誤嚥性肺炎
残酷だと感じたまらない 優しく母の背中をメインに
擦り続けた!  

うとうと15分位 眠っては
夜勤の介護士さんに母の容態を聞いた。

そろそろ病棟が騒がしく 人の声か聞こえて来た。
もう夜が開ける。
病院の早い朝が開ける。

8時 私は冷たい水で顔を洗い
凛としていたくて薄く化粧 口紅を塗った。
しっかり! 母をより良い医療を受けさせたい。

先ずは介護士さんが母の検温
サチュレーション 血糖値
聴診器など 母に声がけをしながら
測定していた。
私は医師は誰が主治医か?
炎症反応や肺のレントゲン 心臓の動きを
聞きたいと 介護士さんにつたえた。

一時間後に 医師が入ってきた。
担当すると名乗る初めて見る男性の医師である。

細かい日常生活から遡り沢山の質問を私に矢継ぎ早になげ掛ける! 私も質問事項は 殆ど聞いて全て
何時もの如くメモをした。

2時間近くに及んだ初めての顔合わせ。
急変した際の延命も やはり問われた。

医師に返事を ゆっくり確実に答えて居ると
何故か ふと遠い昔が脳裏を過った。

私が幼い頃 母は仕事で多忙過ぎて
徹夜の毎日の中
沢山のお弟子さん 芸大生も泊まり込み仕事に励んで居る深夜に  
母は  姉妹並んで 寝ている私に
一緒に寝てあげれなくて 御免なさいね。
ママはお仕事なのよと
優しく私の頭を撫でて頬を付けて
優しく布団を 掛け直して
2階の仕事場へ急いで戻ってゆく雰囲気を
愛を感じていた。

その時 私は母がまだ寝ない事を3歳の幼い気持ちながら 一生懸命に広く長い階段を手摺に捕まりながら
見に行こうと
起きていた……

母にまだ起きていたの?と心配かけたくなく
咄嗟に場の雰囲気を感じて寝た振りをしたのだ。

何故?今 急に思い出したか不思議だけれど
現在は私が母の命を守る立場 ある意味
母の娘ながら 母をお母さんの気持ちに
成っていたのだ。

愛しい母
また必ず克服してください
私が幸せにしたいから
お願い。
二人で頑張りたいの……… 心底から願っていた。

医師は抗生物質を効果が現れない様なら
変える 濃厚な栄養剤 塩分
脂の点滴する等
治療方針の要を 私に話した。

私は毎日 来ますから!
母を宜しくお願いしますと挨拶をして
メインの医師は何名で、其々名前を聞いて メモをして 深く頭を下げた。

今 酸素は幾らですか? 不安で聞いてみた。
上手くゆけば明後日には酸素マスクを外せるかも知れないと。
長いトンネルから母が抜け出せる!!
必ずと医師の言葉を頭の中で復唱した。

暫く母は禁食だ。
また痩せて体力が落ちぬ様にと 
母の手を握り 胸を擦りながら
人の気配で 少し目を開けた母に
今ね、先生が来て大丈夫ですって!!
また二人で必ず頑張れば 家に戻れるからね!と
母の頬に オマジナイ!のキスをした。

母は安心と辛さで
直ぐに寝入った。母の手は
しっかり私の手を握り締めて居た。
本当に愛しい
早く苦しさが軽減します様に。

故父や祖母に懸命に祈った。


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介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り〜母の呼吸困難で救急車!さて入院か在宅医療か?

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


救急車が病院へ到着した。
母の酸素飽和度は酸素マスクのお陰で数値はアップしたが
高熱41度が不安だ。  

顔は真っ赤で やはり苦しそうである。

緊急処置室に運ばれた母。
私は待合室で長く待った。

救急車で駆けつけたのが、こんなに待たされるとは? 胸がドキドキ鼓動を打つ。
誰か 姉が精神疾患でなければ 直ぐに電話で
判断を医師に万が一 聞かれたら相談出来るのだが。

落ち着け 私! 
絶対大丈夫 
冷たいカン珈琲を片手に 神仏に祈る。

トントン 私は心配で立ち入り禁止の処置室に入り 母を見つけた!
数人の介護士さんらに 如何ですか?と母の容態を尋ねながら母の身体を抱いて頭をさすった。

検査は一応済んだらしいが口ごもる介護士さん達。
 
医師は?どちらに
結果は どうでしょう?!話を聞きたいと思わず
強い口調に成っていた。
私の目は 母の目と見つめ合っていた。

10分後に医師が3人現れた。 
様々な検査数値は聞けた。
入院の状態だ!
 しかしながら
医師からは 在宅介護 在宅医療を受けてますよね?
入院は なさらない方が良いですよ。 

在宅介護 在宅医療をしているのならば
家での看取りを覚悟したはずですよね。

私は驚き  最終的に無理と判断された時には
我が家で看取りをしたいとは 確かに告げましたが 
今は母は覚醒していて  病院で診て頂ければ助かり治ります!こんなに高熱でも 私には、しっかり頑張って意思を伝えてくれて居ます!もう看取りを︙!
私は疑問を抱き 
一番年長の医師に 早く治療をお願いします。

経口で嚥下食や薬も摂れます。
内臓の働きも落ち着いて居ます。

医師は緊急病棟に連絡を入れ 私に分かりました。

今から緊急病棟へ上がります…

私は有難うございます。母を必ず助けて下さい
訪問医師には今から連絡します!

私は介護士が迎えに来るまで
又待合室に出された。
何とか入院に  しかしあの医師がいなかったら?
頑張って居る母が不憫で頭に血が上り

老人を大事な命を侮るな!
廊下で思わず涙を何滴か落とし叫んだ!

母が処置室から介護士さんらにタンカ押され緊急エレベーター。
緊急病棟広い個室へ!

なんとナースステーションの真ん前だ。
早速 酸素 点滴治療スタートし
介護士とパジャマへ着換えを手伝いながら
母には 又お風邪を引いちゃったのよ、早く病院に来たから直ぐに 良くなるからね!と
笑顔を見せて 手を繋いだ。

母は辛いのに又
綺麗な瞳を私に見せてくれた。
うん と言う仕草を答えて呉れた。

これで 帰宅させようとした医師団を
改めて悔しく思い返してしまった。

この気持ちをバネに私は毎日
母の元に通う!心に誓った。

母には ユックリと目を瞑り 眠ってね。
今から 入院に足りない物を急いで
持って来るわね。安心してね。
直ぐに戻るわ!

母は少し不安げな寂しそうな顔を私に
向けて こうこうと明るく電気がついた広い部屋の
ベッドに管だらけで 

私は母に 頑張ってね!二人で一つよ。
必ず又お家に早く戻れるから。
心の中で呟き…祈る。

ナースステーションにいた介護士さんらに
脇の下にもアイスノンと 電気を少し暗くする旨
頼んで タクシーでまっしぐら我が家へ急いだ。






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介護

病病介護を振り返り〜母の誤嚥性肺炎 救急車で病院へ!さて どうするべき人生??

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


毎日毎日 母の頑張りは素晴らしく 賞賛に値する物だ。
私の生命力 励みに繋がる物。
誇りに思う毎日  我が母上 感謝で胸が熱いわ。

私なら自らの不自由さ、食べ物も変わり
ベッドに柵  到底 ストレスが溜まり 大声を上げたり
たまには我儘を言ったりしそうな物を と常に感じていた。

母のレビー認知症が 骨折の痛みや 皮膚炎が鎮静せずに辛いためか 珍しく
母の部屋には居ない 母の姉や兄弟を 手を差し伸べて 呼び止める幻視が 日により 増えていた。

他に体調が悪い為か?私は心配で落ち着かず
ケアマネ 介護士さんらに頻繁に報告していた。

が、私が代わりに返事をし 手を握ると
1時間くらいで 落ち着いて呉れた。

医師に報告し 認知症の薬は混濁した意識の時は
更に興奮を強めるから初めて レビーの薬服用はストップしていたが 母の体力が心配で
睡眠薬として 就寝前に 母の好きな トロミ付けたカルピスを私が 愉快な話をしながら 服用スタート再開した。

直ぐに効くはずもなく  私は殆ど徹夜で
母に語り掛け 手を繋ぎ 母に歌を聞いて貰ったり
気持ちが落ち着く努力をしていた。
たまに うとうとして 綺麗な穏やかや寝顔を綿に見せて呉れた。

3日目した位に  朝、母の額にアブラ汗を感じた。
丁寧に蒸した熱々タオルで 少し冷ましてから 何度も繰り返し拭いたものの 30分過ぎると 額がねっとりして来るのだ。

検温は37度。 肺炎予報の抗生物質も鎮静解熱剤も
頑張って服用してくれて居るが 母の元気度も下がり
辛そうだ。 痰は特に粘りは無かったが 一応吸引したり 酸素サチュレーションを度々 計ってみた。

うん?!!
いきなり酸素の値が下がり 母は苦しいと
全身をガクガク震わせ  顔は蒼白
くちびる 舌 爪も白!

私は 母に安心してね!
ユックリ 私と深呼吸しましょう
大丈夫だからね
と布団を掛けて 又検温を繰り返した。

母と私は信頼しあい お互いの目を見て
母は頷いてくれて 私の呼吸に合わせて呉れた。

サチュレーションを見ながら私は 心臓か?
肺炎か?心配と 母を抱きしめ 冷や汗が出たが笑顔は絶やさず 訪問医師を呼んでいたら
間に合わない?と 母と手を繋ぎながら
救急車をスマホで呼んだ!

母上 寒い?大丈夫よ。
直ぐに病院へ一緒に行くから安心して ユックリ深呼吸しましょう!!
母はワタの目を しっかり見て うん
と答えて呉れた。

救急車のサイレンが聞こえるまで
ひたすら 母を励まし 時には 私の酸素を母に移した。  

頭のなかでは余命宣告の医師の言葉 急変が
渦巻いたが 母の意識がクリアなのが救いで
大きな声で 母に息を吸って  ユックリ吐いて
と私も繰り返した。

救急車のサイレンが身近に聞こえてきた。
訪問医師には 後で 相談しよう!

隊員達を家に上げた。
母の顔色 聴診器 血圧測定しながら 私に質問してきた。数日前の様子と 今に至る経過を端的に報告して  母を頼みます!!
と頼み 私は入院支度を手早く準備。

いつもの第3次高度医療病院へと隊員に告げた。

母には大丈夫、安心してね
と髪を撫でた。
 
母は救急車に運ばれ 私も飛びのり
更に詳しく持病 服用崩し 訪問医師などを告げた

隊員は深呼吸させて居たんですね、良かったと私の顔を見て
母には即座に酸素マスクが装着された。

今 41度有りますよ
その寒気と呼吸困難な状態と聞いて
私は37度でしたよ??

救急車に乗り 急激に上がりました
と 行き先の病院へ隊員が連絡している。

母の額に冷たいタオルを乗せて
私のコートを更に寒くない様に母に掛けた。

オッケーでした!病院へ向かいますね
隊員も 心配そうに母の様子を見て居る。

私は ひたすら母に大丈夫だからね?を繰り返し
ガタガタ揺れる道
母の身体を抱きしめた。
 隊員がお嬢さんは危ないから座ってくださいを連呼していたが   私の目を見ながら頑張って呉れた母に 有難うね  大丈夫よ!を
繰り返し 私は心配とヘルニアの痛みで
汗が車内に落ちた!

もうすぐ着くから 安心してね!!

母は目を開けて私を見て呉れた。


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#呼吸困難
#高熱
#救急車
#在宅介護
#酸素

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病病介護を振り返り〜母を亡くし半年して脳裏に過る事NO2

#在宅介護
#誤嚥性肺炎



昨今 カウンセラーの仕事をスタートした事も加え
最終期老人医療の現実を再び目の当たりにして

あまりにも 母に残酷で不憫な思いをさせて
唯一無二の私の愛する母と哀しい別離を涙し
無念さは生涯消えない。

当時は一日一瞬がガムシャラ全身全霊と深い祈りで
在宅 病院 施設に渡り介護と愛 私のパワーを母に捧げて盲目必死であった。

在宅介護 在宅医療をしていた際に母は 誤嚥性肺炎を起こし キーパーソンの私にヘルニア 喘息発作の悪化で初めて掛かる病院をケアマネジャーから紹介され 母を介護タクシーで連れてゆき即座に丸一日掛けて車椅子で検査に回され 結果を聞く段階で担当医師に初に出逢った。

開口一番 医師は自分の親なら餓死させる
昔は 僧侶が死を悟ると自ら土に穴を掘り お経を唱え亡くなったと。

その話は知って居たが あまりにも餓死とは?いきなり
医療の現場か?と耳を疑った。

母と私の体調が悪い中で
 母に明るく声を掛けながら車椅子を押しつつ
私は重たい入院荷物を抱えながら
検査にあちこちと回され 汗だくだ。

医師と話が済むと車椅子で グッタリしながら一人ぼっちで診察室付近に 置き去りの母を見つけ飛んでゆき  私はごめんなさい
大丈夫?!と少しだが水分を母に補給させて
体を擦り続けた。
母は私の顔を見ると 項垂れた首を起こして
優しく微笑み 大変ね、何処に居たの?と。
母に申し訳なく涙をハンカチで
汗と共に一瞬で拭き取り
笑顔を返した。

不信感だらけながら今の母を帰宅はさせれない
在宅医療では 検査器具もなく
今回は病院に入院しかない
と困惑しながら 入院を願い出た。

その医師とは極力 私から話を度々重ねて
私と母の願い 気持ちを伝え
段々 信頼関係が生まれては来た。

母は現役時代に一人で 父親母親役を立派に
こなし 私と姉を豊かに育て上げて呉れた。
その激務の人生からか 晩年には
これでもか!?と母を幾多の病が次々と襲い
私は外勤を辞め在宅ワークをしながら
母と二人三脚で一つ一つの重たい病を入院
オペ 在宅介護で乗り越えて来た。

心筋梗塞 大腸癌の時には生死に関わり
私は雨の日も朝晩 お百度参りをした。
亡き父や神様のお陰  そして母の前向きな頑張りで奇跡の生還。
抱き合って歓喜し 母の頑張りを労った。

人それぞれ大切に懸命に人生を歩み
闘病も乗り越えて来たのに 餓死させるとは
今でも怒りの気持ちが点火させられる
老人とは病院 医師にとり 邪魔者なのか。

誰でも いつかは死を迎える。

心から信頼して 大事な親 家族を託せる医師に
診て欲しいと願うのは当然の事。

自分達世代が老いた先を想像すると恐ろしく成る。

私の病の医師 母の幾多の病で出逢った沢山いる医師の中で今 深い感謝を頂き続けて居る方は残念な事に片手位の数であり 

病院で様々な患者さんの ご家族や患者ご自身と知り合いが増え その中で耳にするのは
やはり医師 病院への不平不満で
中には転院させる事に踏み切り
家族の他に親族を集め カンファレンスで医師に怒鳴り やっと転院が決まったという話も 幾つか耳にした。特に老人を患者に持った ご家族は参って居る
私もだ
と胸の中で感じながら 話を聞いていたものだ。

ナースコールも介護士さんへ声を掛ける事すら出来ずにベッドに拘束されている患者さんの気持ちは
医療スタッフに伝わらないのか?
勿論、黙々と懸命に看て呉れた介護士さんの顔は今も感謝と共に覚えて居る

病院へ母を見舞うと言う感覚より
一日中居て介護をする状態の私は
危ないと感じる現場を 母を含め 沢山見て来たので

以前は連日 病院の母の元へ飛んで行って皆勤賞物で居たのが    毎日 終末期医療を受ける沢山の患者さんの様子を見たり ご家族の悩み相談を受けると
胸が締め付けられ
母が心配で 毎日 会いに そして様子を見に行きたいのだが 病院へ行く支度はしても
いざ行く時間になると ソファーに座り込み
行けない日が増えてしまった。
情けない! 私は?どうしたのだろうか

そうゆう日は必ず病棟に電話を入れ
母の様子を聞いたり 気をつけて看て欲しい点や
医師への伝言を頼み

転院を考慮し
ケアマネジャーに相談したり ネットで
色いろな病院に付いて  又終末期医療とは?
等 黙々と寝ずに調べて居た。

心の中で 母には必ず無事で居てね
今日は行かれずにごめんなさい
明日は早目に行くから!
を繰り返し
お仏壇に祈りを幾度も捧げていた。

病院 医師の件をめぐり 家庭崩壊に近い話を
聞いた時には 頷けた私であった。

次の投稿からは
引き続き 母の前向きな闘病
頑張りを綴ります。宜しくお願いします。






#心理士介護カウンセラー

#在宅介護 #病院 #終末期
#医師 #医療現場 #家族の悩み #転院
#誤嚥性肺炎
#患者さんの気持ち#胸の中#母と私#要介護5#餓死

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介護 余命 在宅医療

病病介護を振り返り〜 母を亡くし半年の私の脳裏に浮遊する現実!!

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


皆様おはようございます

病病介護を振り返り〜を綴って居ります介護心理士カウンセラーmarika75555 です
最愛なる唯一無二の母親を孤独で本当に無念なお別れ

天国へと見送り半年がたった今
私の脳裏に浮遊する事は患者の担当医との出会いとは?
人生の中で大切な帳を下ろすまでの関わり方
介護士諸々スタッフを含めて〜

必然であるか?偶然か?きちんと会議された結果のご縁なのか?オートメーション化された行きずりなのか!

終末期医療現場に謎を感じて居ります。 

皆様 大切な ご家族を守るために
どうか 医師との話し合いを躊躇わずに 些細な不安心配な
事柄に付いても 納得ゆく迄 お話なされて下さいませ。

素晴らしい医師とのご縁を願って居ります!

季節の変わり目は ご存知の様に体調を崩し易いです。
大切に介護に明るく 頑張って参りましょう!!






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介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り~ 念願の新年‼️母のお誕生日

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎



いよいよ 新年 母のお誕生日の日。
まだ 暗い時間から 私は母の体調を測定して
母も 目覚めて居た。

今日は 新年よ~ 母上のお誕生日なのよ!!
本当に 良く頑張って呉れて有り難うね
体調は どう?
まだ 少し微熱は あるものの 脇の下のアイスノンを 外しての体温は まずまず。

身体の深部の熱も取れて 私は本当に嬉しく 朝5時から 朝食支度や ヘルパーさん 介護士さんらに
お手紙を 書いたり 母に大きな文字で
お誕生日カードを書いたり ドライアイの目薬を 両目に沢山 さして。

私は膠原病とベーチェット病の 日本で一つの症例らしく 東大病院では 論文を書いても良いかと 若い頃 病名を告げられ 同意を求められた経緯がある。
左目は 失明寸前に近く 母は特別室に入院させて呉れた………

他の大学病院でも 下の他の医師は驚き 入院手続きを と 言うものの 目がヨボヨボの 眼科の大家と謳われる教授が 異常なし と 驚く事を呟くと 目の疾患は ないものになる………
そのままだと 失明して居たが 自宅に帰る途中
私は地元の眼科クリックで 目の疾患を 直ぐに見つけて貰え その場で 何種類の点眼薬 クリーム目薬を両目にされた。

母が知り合い 東大病院の医師に会いに行って呉れて 翌日 至急 入院となり 今こうして
両目共に 近視では あるけれど 見えている。
こうゆう 経緯も あり 本当に 母と我が家で
新年 と お誕生日を 迎え 祝う事が出きるのは
様ざまな 困難 奇跡の連鎖。
有り難い

母も ワクワクしているのか 起きてみようかしら?等 身体を動かして居るのが オムツを換えたり 部屋の空気入れ換え 掃除があるので
少し 待って居てね と お茶に トロミをつけて
先ずは ベッドを80度お越し 枕 バスタオルで
頭を支え 口腔ケアーしてから 小さなケアースプーンで 食べてもらった。

さぁ 今日は 晴れて 素晴らしい元旦だ。
1日中頑張ろう・・
空気も凛と済み渡る。寒いけれど気持ち良い。

母は ふと姉の名を口にした。
何時も なかなか 口にしないが やはり心配なのか。私の胸に刺さった……
姉は
統合性失調症で 入院中だ。

暮れには 母の傍に介護士さんらが居る間に
姉へ
手紙や 差し入れのお正月に着る新しい服やバック 下着類 お小遣いを段ボールで 送ったばかりだ。

姉は 私が 母の病や 様々なオペ 入院を告げても
自分の言いたい事ばかりを 電話や手紙で相談して 母の具合を質問さえしない長い年月。
具合が 良くなり 退院しても あるだけのお金を、バンバンと 派手に使って父や 母にと
お供えや お見舞いを 手紙を 書いて来た事もない。
まして 母の終末期の 私の相談相手等に
なった事がない………

しかし 母はやはり 心の中で姉を案じて居たのだ……… 私も 母の最期のお誕生日になるならと
姉の存在が 脳裏を過り 年末に 手紙を
書いていた。
私としては 姉が 具合の良い時に せめて
母へ親孝行として お見舞いやお花 父へもお菓子やお線香ぐらい 何故? 寄越さないのか
幾ら 病でも 母が不憫過ぎると イライラする
事 怒る気持ちは 心の奥底に あった。

私は次女。 2才で 父が病で亡くなり
顔 声すら 覚えていない。姉は 父っ子で
何時も 父の話ばかりを 口にしていた。

でも 本当に今日は 最高に おめでたい佳き新年
複雑な 思いを 吹き飛ばし 父のお仏壇に
お正月のお供えや 花等 飾り お祈りをした。

段々 明るくなり 私は 母の好きな♪新世界♪や 新春らしい 音楽を流しながら 母の 朝食 お薬 ケアーを いつもより 丁寧に 精一杯の明るいアクションも 取り入れ 母を 笑わしながら
時間が おしい気持ちで 急いだ。

ピンポン♪ チャイムが なり
明けましておめでとうございます~と
若い男性のヘルパーさんが 元気に やって来た。

私も 珍しく 付きっきりでヘルパーさん 母に無断口を 聞いたり 皆で 笑ったり。
お母様 顔色良くなりましたね!
本当に おめでとうございますと ヘルパーさんが母と私に 嬉しい笑顔で 言って呉れた。
辛い表情の母を 見てきたから~
ヘルパーさんと母につなぎ寝間着の上に新しいベストや
カーディガンを着せ替えまた。春が
やって来た様に明るく母もお部屋も華やいだ。

母の痰は まだ あるものの 炎症反応CRPも
下がり 本当に良かった
嬉しくて沢山撮影をした。

お昼にはケアマネ介護士さんに診察や
巻き爪の足の爪切り等も丁寧にして貰った。
痰の吸引も
ゆっくり!しっかり介護士さんが
やって呉れた。 やはり吸引は辛い
母は我慢強く頑張り
咳をしながら 有り難うございますと
声も出る状態に戻って来た。

昼食は 遅れたけれど じょうずに 食べて呉れたので 本当に嬉しく 私は 気づいたら 何も食べずに3時近くになっていた。

ケアマネ介護士さんらに お誕生日おめでとうございます( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆と
晴れやかな元気な声で言って頂けて
母は美しい笑顔満面の表情を 見せて呉れた。
母は私の顔を見て 頷きながら 有り難うね…と
又愛情深い気配りを 呉れた。
人生で本当に一番幸せな元旦だ。

大分 母の顔色がよく
私は うっすら母にパウダーをはたいて リップを塗り 可愛い綺麗ね 気高くて 美しい母上よ( ^-^)ノ∠※。.:*:・’と
母に鏡を渡して ほら!見える?
ベストも似合うでしょ!
母が 可愛い 有り難うね…
少し休みなさいと 私を労って呉れた。
このまま 永遠に 時間よ 止まれ
私は母に抱きつきながら
10分位 心の中で 必ず 長生きして幸せに成ってね! 皆 母上のお陰よ。
幸せに暮らしまょ を 繰り返した。

おやつを 母のターンテーブルに
私の分も置いて 向き合いながら 少しお喋りしながら 楽しい思い出話に二人して笑った。

ピンポン♪ 夕方のヘルパーさんが来訪。
母は 沢山の 人が 来るので ビックリした表情。
私は 皆 母上を心配しながら 新年だから 会いに来て呉れるのよ と説明。母は、ニッコリ。内心はくたびれているのでは?
やはり心配しながら

その間 キッチン リビングを私は往復して お祝いと 夕食 お薬の準備をしていた。

いよいよ
皆が帰り 母の骨折している腰を庇いながら
車椅子に移乗させて ゆっくりリビングへ。
母は嬉しそうに 壁や リビングの飾り付けに手を伸ばして 私に沢山の笑みを 贈ってくれた。
最高のプレゼントを有り難うね
私は嬉しくて 子供みたいに
ハッピーバースデーを 何度も歌い 拍手を しつづけた。 母も 一緒に歌い 手を叩いて呉れた。

部屋を見回し やはり 私が居る 家が一番よと
母は 染々 口にして呉れた。
本当に 私の不手際で 母に辛い思いを沢山させてしまい 心の中では 泣き出して居たが……
母上 お誕生日おめでとうございます( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆
皆 母上のお陰です。
本当に母上の娘で世界一幸せです。
ずっと よろしくお願いしますと
母に挨拶をして ケーキに蝋燭を立て 母と二人で 笑顔を交わしながら ふーっ ふーっ ふーっと 消して 私は 母を後ろから抱きしめ
有り難うねを 繰り返した。

私の頭の中には 母の苦労 人生の軌跡
偉大さ
娘達へ深い愛情 幾多の病を晩年から二人三脚での在宅介護で 治療してきた長い年月
私の不手際で母を転倒 骨折させてしまってからの 日々 母の頑張り 表情 色々なシーンが回り巡り 胸は熱く 本当に カーディガンを脱いで居た。

こんなに幸せそうな 美しく 可愛らしい母を失いたくない
更に 私は 自らの命に 代えても 守る決意を強めた。
本当に 母上は 立派だ。
要介護5の 老婆には 全く見えない。
私の宝物。感謝一杯だ………





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介護 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り~ 大晦日 母の体調は?!母と皆の頑張り

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎



私の記憶は 母が愛犬の シートで 滑り転倒し
救急車で高度医療病院へ運ばれた瞬間からしか
途切れて 居て ………

掃除不足の あの夜に 限って
何故!私は体調が悪く 2時間も寝込んで居て その日に限り 私も母も シート側を歩いてしまったのか 自責の念に押し潰されながらも

ただただ 母に申し訳なくて 母を幸せに
したくて 毎日を 私なりに ギリギリの力を超えて 祈りと 母への深い尊敬 愛する気持ちで
動いて来た。

いよいよ 大晦日だ!
私は 深呼吸しながら 冷たい水で 顔を洗い
既に 目覚めて 私の名を 呼んで居る 母に
♪はーい♪ 体調は どうかしら?
お胸は まだ辛い?

今日は 大晦日なのよ。
早いわね みんな 母上のお陰なのよ
本当に どうも有り難うね…
明日は 元旦
母上ちゃんの お誕生日よ。
お祝いしましょうね
と 笑顔で 元気に 声を掛けて

酸素飽和度 血圧 検温 血糖値 等
測定した。

一応 回復の兆しが 確認する事が出来て
母を そっと抱き締めて 良く 本当に頑張って
流石ね!
凄い 凄い 万歳\(^_^)/
嬉しいね 本当に嬉しい
有り難うね……

今日は 先生も 診に来て下さるし
忙しいけれど 明日のお誕生日の為に
ゆっくり 頑張りましょ

先ずは 私が オムツ替え 陰部洗浄
クリーム 皮膚炎の薬を 塗布スタート。

母の ベッド80度迄 上げて
クッション タオルで 頭と身体を固定して
ターンテーブルをセットし
朝食と 朝のお薬。

たんぱく質を 補いたくて 鶏のささみを お野菜をミキサーで細かくしてトロミをつけて 煮込んだスープがメイン。
プリン ヨーグルト エンシュアにトロミ。
栄養ゼリー 麦茶と カルピスに トロミ。

私は母の隣に椅子を起き ほとんど 立ちどうしで ゆっくり 母の口へ 食事を運ぶ。
うん
上手に 飲み込めている!
むせ混みも 少ない!

まだ 血液検査の結果 検査の結果は
医師から 報告は ないけれど
母と手を繋ぐと 深部の熱感も なく
内心 私は本当に 母にお礼の言葉を
又 頭を下げていた。

此で もっと 小分けに水分を補給してゆき
医師の 説明を 安心して聞こう!
と 私は力が みなぎった。

朝食が終わると同時にチャイム!
介護士さんだ。
私は 母の測定値や 尿 便の色や濃さ等 報告。
朝食時の様子も 伝えた。

介護士さんも 笑顔が 零れ
お母さん 良く頑張ったのよ!
凄いじゃない。良かったわね。
明日はお誕生日でしょ。
ゆっくりお祝い出来るわね!
明るく 母へ おめでとうと 言って呉れた。

私がテーブルに飾った チューリップを見つけて
母に お母さん 見えるかな?
お嬢さんが こんなに綺麗で可愛いチューリップを 飾って呉れたのね!
と チューリップの歌を うたいだし
母も 音楽は大好きなので
私も一緒に 手を叩きながら 皆 笑顔で
チューリップの歌を 合唱した。

母の声は 小さかったけれど
心底嬉しい 笑みを浮かべて 手を叩いて呉れた。

私は 嗚呼 幸せだ!
母が 笑顔で 我が家で ほとんど肺炎を克服して
手を叩いて 口ずさんで居る。
あわせて 写真を 撮りたい私は
涙で 上手く 見えないけれど 声を頼りに
2回位は 間に合った。

此で最期の大晦日!?辛さをこらえながら
とんでもない。
こんなに 頑張れる母だもの!
必ず 私との 二人三脚で 来年の大晦日 元旦も
頑張ってみせる
奇跡は起きる。

介護士さんも笑顔で 声を弾ませて
ベッドに 上り シーツや防水シーツを取り替えましょ! 替えを持って来て下さる?
そうしたら お嬢さんは 声を掛ける迄 リビングで休んで居てね。
私達は 休めるけれど お嬢さんは 徹夜だからね……… 少しでも休んでくださいね!!
と 初めて言われた言葉?の 様な気がする。

私が心配で ずっと母の部屋に 入り浸りだった。

介護士さんが 痰の吸引を 始めた時
私も どんな 痰かしら?と 母の部屋に 飛んで行った。 大分 柔らかく 水状に成り 良かった~ 母上 素晴らしい!と
思わず 拍手してしまった。
介護士さんも 本当ね 以前は大変 お母さんを苦しませてしまい 沢山の痰が 吸引する度に 引けちゃったからね。
本当に頑張って呉れて 凄いわ!と
母と手を繋いでいた。

寝具替え 床擦れチェック 下着
つなぎ寝間着 着替え
神も とかして貰った。

後はヘルパーさん 医師 そして夜のヘルパーさんが来訪する。

バタバタ お掃除や洗濯をして居たら
ヘルパーさん に続き 先生が来訪した。

先ずは母の診察をお願いしてから
リビングで 話し合い。

先生は左胸の音は まだかすかに 雑音しているが新たに発症した肺炎では ないので 痰の量も少なくなり 解熱 脱水症状も落ち着き ご本人も笑顔を僕に見せて呉れたから 先ずは一段落ですね!
お嬢さん 頑張りましたね
と労いの言葉を下さったが いえ 母の頑張りが素晴らしく 私は 当たり前ですよ と笑顔で 先生に挨拶をした。

本当に 寝たきりになると
座位 が凄く大切で 酷くなる 弱ると唾液を誤嚥して肺炎を引き起こすので 呉々も その点と
食べさせる角度 量 飲み込みを確認。
むせ混みしたら 嘔吐しない様に気を付けて 吸引する等 水分補給は こまめに と 気を付ける事を確認した。

一応 年始の為に 結核患者さんが予防薬として
1日3回服用する 抗生物質 お腹の薬を新しく処方してくださった。

先生は 明日は お祝い出来そうですね。
良かったですよ!!と
笑顔満面に 玄関に立った。
私は 先生のお陰です
有り難うございます
佳きお年をお迎えくださいませと
贈り物を 渡すと 気を遣わないでくださいね。
お嬢さんが 体調崩したら
お母さんが 悲しみますよ 又
万が一 何か あったら 明日に電話を下さいね………と 一言 付け加えた。

はい 有り難うございます。
しっかり 母を 24時間私が看ますから
大丈夫です。
では 万が一の時には お電話させて頂きますと
先生の目を じっと 見つめた。
大丈夫 お母さん
きっと大丈夫ですから と
じゃ よろしくお願いしますねと
医師の方から言われた。

外迄 見送りに出ようとしたら
何時も ご丁寧に有り難うございます。
風邪引くと大変ですから と。
私は医師の姿が見えなくなるまで
お辞儀をしながら 有り難うございます~と
繰り返し手を振った。

私は 嗽 手洗いをして 医師の言葉を母に告げた。
万歳\(^_^)/ 万歳\(^_^)/ 万歳\(^_^)/
私は 母の頬にキスをして
背中を 擦りながら 明日は何が食べたい?

明日は母上のお誕生日よ!!
ゆっくり ゆっくり 音楽を聴いて
もし辛くなかったら 一緒に歌いましょ。
プレゼントは 用意してあるの。
明日に 渡すから うーんと 楽しみに
待って居てね。
全て 本当に全て 母上ちゃんの頑張りの賜物。
全てが 母上の お陰なのよ。

私は この何日か寝てない疲労を全く感じなかった。 世界一愛し 助けたく守りたい人に尽くす時には 人間は凄いパワーが 湧くものだ
改めて 今回感じ 同時に 本当に此で
最期のお誕生日に なりません様に………
故父に 私は母を 一人では 絶対に
死なせない決意です…と 心の中で 会話をした。

私も今夜は母のベッドで一緒に少しでも
手を繋ぎながら一緒に眠ろう






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介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り~母の意志の強さに感服です‼️

#在宅介護
#誤嚥性肺炎


母は 幾度も幾度も誤嚥性肺炎となり
在宅介護では 検査医療器具がないことや
私の体力 持病の悪化の波が 出てきたり
やむを得ず 何回か 入院を繰り返しました。

辛さから 眉間にシワを寄せる母に………
私は 精一杯 優しさ 愛 賛美 感謝の言葉 歌をうたい 明るく包み込みました。

原則的に付き添い泊まりは認められていない病院だったので 急変しないように
後ろ髪を引かれながら 母の部屋を
路上から見上げて 月や星に 故父 祖母に
祈りながら バスを待った私。

母は とびきり行いが良いから大丈夫だ。
沢山の徳を積み重ね 生きて来たから 神仏が守って下さる。
私が生きて居る限り大丈夫だ と
母の身体 母の意志の強さ 私への愛を確信しながら バスに乗り込み 病院が 見えなくなる迄
振り返り 心の中で 母へ 頑張って 頑張って 指切りしたから 必ず頑張って 明日は もっと早く来るからね!と 叫んで居た。