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母は 痛みが強いものの 好物のフルーツやハーゲンダッツのアイスクリームを
殆ど介助なしで
食べれる回数が増えて
本当に私は感動感謝で一杯に。
しかし
尿は出ず…
尿を出す薬を服用させても不可能だと冷たく医師に言われた
母には担当の医師が数名ついており
個室の部屋は面会禁止の日や
重症患者の赤丸シールが
名前の前に貼ってある。
私は薬を試さずに切り捨てるなんて!と
医師に訴え
他の医師をつかまえては薬を恃んだ………
やっと2日後から…有り難くも
少しずつ尿が出てくれた!
あの医師の言葉は何??
母上……凄い
今度は尿管と尿袋を外し
前あきのオムツに成った。Msizeでも
ブカブカになり
母の陰部洗浄、オムツ換えや床擦れ防止の
体位変換も
看護士さんより
私は丁寧に
母に話を沢山しながら行った。
オムツの中で??
母は我慢してしまう事が増え
不快感に悩み
衛生上…可哀想だけれど
つなぎ
と言う特殊な寝間着?を着るようになった。
美しい母が と内心凄い辛い私
でも似合うわよと
母に話かけていた。
個室なのでクラッシク音楽を 私が毎日 流して センモウ 痴呆悪化を 防いでいた。私の居ない時には看護士さんに音楽を流す様に頼んだ。
母も
だんだん家に居る様な安心を覚えた様子で
こんなに広い個室は大変でしょ?
もう退院して大丈夫よ………を
繰り返す様になり
私は
赤丸シールが 早く 黄色 そして白に成れ
と益々 介護に奮闘開始した。
数日後
情けない事に
疲労 からか? 頚椎 腰椎のヘルニアも再燃してしまい 歩くのも無理で 腰にサポーター
松葉づえで タクシーで病室へ通う様になり
医師達に 母の炎症反応 全身状態
退院の目処等 話し合いのカンファレンスを依頼した。
広い病院での あちら此方への移動
腰を使う大きな動作で 病院より我が家で
看た方が 私の不可が減り
母も 落ち着いた気持ちで 闘病が出来ると
思った。
特別階
重症患者と いう母は 医療カウンセラーが
入院翌日から 着いていて 私は頻繁に 先々の方針を 伝え相談してきた。
良い話し合い カンファレンスで 良い結果を
帰宅しては 何度も 父 祖母に祈った………
本当に 母の努力 頑張りは素晴らしい物で
必ず 良い方向に 行くようにと
祈り に祈り 朝を迎えていた。
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#最終期
#在宅介護
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