繰り返し 最愛なる母上様への 恩返し……恩返し❣
を 綴る 私。
それは 何故ゆえか……?
何故 私は 未だに 思い 歩み 続けるのか。
母上様は
膠原病の病を 持つ 次女である 私が 一人
全て 責任を背負い
全ての 使命 を 抱えながら
母に 幸せ 安泰なる 晩年 老後生活を
送らせて上げたい! 幸せを感じて欲しい❣
そして いつの日にか
繰り返し 最愛なる母上様への 恩返し……恩返し❣
を 綴る 私。
それは 何故ゆえか……?
何故 私は 未だに 思い 歩み 続けるのか。
母上様は
膠原病の病を 持つ 次女である 私が 一人
全て 責任を背負い
全ての 使命 を 抱えながら
母に 幸せ 安泰なる 晩年 老後生活を
送らせて上げたい! 幸せを感じて欲しい❣
そして いつの日にか
寒くても 陽射しが暖かく 優しい日には……
ポジティブ 継続は力なり の 心構えで
深呼吸しながら マイペースで
お散歩リハビリ💐🤟
帰りには 自然の移り変わり…… 街の雰囲気を
味わいながら
写メ を パチリ パチリ
本当に 病が 辛い時には お散歩も叶わず
日常生活も 七転八倒…
最愛なる母上様を 在宅介護していた折には
自然 街の変遷 等 味わう余裕 時間も無く
自らのケアー セルフケア にも
目もくれず……
今は 転倒! に 気をつけながら
亡き 最愛なる母上様と
空を仰ぎ 語り合いながら
有り難い気持ち 幸せな心で
豊かな時間を 過ごせている🌺
改めて 深い 愛 教え まもり
に 感謝🍀
まだまだ 私は 進化する❣
ポジティブ ファイト💞
毎日
テラスに 声がけ……
師走に 心の中で 亡き母上様と 選んだ
愛らしい シクラメン 💐✨✨✨✨✨💐
気高く 豊かに 穏やかに
優しく 咲いて
私を 包み込む💝
感謝と 喜び
ポジティブな 寒い朝❣
師走も いよいよ 気忙しく成って来た…
お日様が 顔を出してくれていると
私の心は勇気づけられ さあ! 今日も お散歩リハビリへ いでゆかん!
身支度は 億劫では なく 今の私の 仕事の一つ…の
様に 真摯 かつ 楽しみも成っている。
こうして ポジティブさ!を 未だに抱ける事は
何と 有り難く 内心
自ら 奇跡に近く感じて居る。
街に出ると 紅葉していた 街路樹は
枯れ葉と なり やや 寂しげに
落ち葉となり
道を 埋め尽くしている。
歳月の流れ は 年を重ねるごとに
加速する。
歩ける事に 改めて
感謝……
贅沢な 枯れ葉の絨毯を 遠慮がちに
一歩 一歩 感触を
踏みしめ 味わいながら 歩む。
深呼吸しながら 夜空を仰ぐ。
師走の夜 星が 綺麗に輝きを増し
神秘の夜空。
最愛なる母上様は 魂の奥底から 慈しみ深く
私を案じ 強い愛 で守り
力を 送ってくれて居る。
有り難い 幸せなる 母上様からの 応援 励ましを この身 我が心に浴びる。
冬 一人の時間 暖かく 贅沢な ひととき…
今年 いろいろあった。
様々な 思い 感情の交差 混乱も
多々 有った…
こうして 今年の冬に 今 枯れ葉の絨毯の上から 星を 眺めている私。
意義ある 時。
毎日を丁寧に 噛み締めながら 生きよう!
上手に リフレッシュを
取り入れながら やはり 私は
ポジティブさ!を掲げ
勇気を持ちながら
何は さておき 人生 健康第一❢
#免疫力アップ #体力アップ
歩みを、止めず
#最愛なる母上様との 大切な #二人三脚 頑張り
あの時間を 心の糧に
諦めずに 前向きに 頑張る 努力を 手放さずに
膠原病合併中の私は
天国の 母上様に 安堵して貰える様に!
必ず 寛解へ❢
過ぎる 思いは 変わらず 普遍
毎日の セルフケアー リハビリ 努力を
継続する💐
この生き方 この継続が
必ず よい 結末へ 繋がる❢
もっと もっと 親孝行 そして
最愛なる母上様に 笑顔で 安泰して
貰いたい。
コロナ 感染症 怖ろしい 物に
行くてを 邪魔されぬ様に
慎重に 丁寧に 日々を 生きよう……
頑張れ 我が魂よ。
昼間は 秋晴れに恵まれて
暖かな 陽射しを 身体に浴びて 心地よい
朝は 寒く 昼間は 陽射しに パワーを貰え
気力と 母への祈りで 奮闘した
真冬に なる前に 出来る限り リハビリお散歩❣
しよう
みなとみらいまで 足を延ばした
秋晴れ 晴天 白い雲
心地よい〜 有り難き 豊かな時間
ランドマークで
ずっと 昔
母と 電飾音楽 クリスマス🎄ツリーに
見惚れた メモリーを 彷彿し
痛む足を 庇いながら よってみた。
温かな 母の ぬくもりを 身近に 感じ
懐かしいわね 覚えている?
私を 上手く お写真を 撮ってくれて
感動しながら 見ていたわね
検査疲れ 寝不足 移動疲れも
吹き飛び
暖かな 世界に 私の瞳は 輝いた…
しかしながら 本当に 何故!?
膠原病 ヘルニア 喘息を抱える 私が
最愛なる 母上様を 共に天に召される覚悟
深い感謝 尊敬の 一念から
愛深い介護から 医療費 個室代
そして
終末期には 告別式の 用意全て……
24時間 等
寝ずにとも 取るに足りぬ 時間
もっと 長く 母の傍らに ずっと
寄り添い 母をみたかった…
姉は 精神疾患が アクティブしていて
何一つ 最期の 最期迄
親孝行 介護 医療費 支払い
医師との カンファレンスさえ
一度たりとも 力を 奮った事は無い…
このような事は 人の世 家族の社会で
あって 終わりで 済むので あろうか!?
母の意識が しっかりしていれ時には
立派すぎるほど 立派な母は
度々 私 に 涙を流しながら
あのような 娘を 産んでしまい ごめんなさいて
土下座する様に 幾度か… 私に 誤っていた
あまりにも 母が 不憫で
私は 母をだきしめ 母の責任は 全くない事
誰の責任でもない
そして 姉も自ら 好んで 精神疾患に
成ったわけじゃなし
私は 必死に 母を励まし 私なら大丈夫よ…
を 繰り返したものの
終末期の大変さ
そして 病の私が 介護しおわり
喪主として 浮きまわるには
体力 気力は 絞り出す様に 真夏に
命を 掛けて 奮闘していた
まして 杜撰な 医師の 判断ミスで
母は 家に返して貰えずに
杜撰な病院にて 意識を亡くし
私は 勿論 その日も 朝から
遠くの 母の居る病院へ 駆けつけたが
間に合わなかった…
このように 杜撰さ あり得ぬ不可思議な
大問問が 重なって 良いのであろうか…
母は 生前 亡くなる場所は 我が家
私がいる場所との強い医師を持ち
笑顔で懸命に 前向きに 頑張ってくれた
私も 長年 在宅介護してきた 要介護5の
母を 心底 尊敬 愛して 感謝一杯の 気持ちから
最期は 更に 命を掛けて 我が家で
介護し この世の帳を降ろす際には
私の 腕の中でと、決めていた…
母は 次女の 私はかりに 世話 解雇 面倒を
見させて 難病の私を 案じるが故に
葬儀に 姉を 呼ばない様に…… これ以上
私に 姉が 迷惑や 嫌な思いを 私に かけたら
……済まなすぎる と 苦しみ
姉が 大学 休学長いの頃には
実際は 出来るわけはないのであるが、
母は 責任を感じながら あの子の病は
一生掛けて ママば治す!
万が一 治らなかったら あの娘を 殺してから
ママも死ぬ! と 母親であり 父親であり
一斉風靡した 才覚 実力者の 母は 私の幸せ、将来を、考え こう 言ってた事が 私の心に
深く 鮮やかに 残って居る……
姉は 母と私の 深すぎる悩み苦しみ
そして 言葉では 言い表せぬ 難しい問題が、潜んでいる。
母は天に召される迄私の健康 幸せ
そして 仕事 介護で 子供を諦めた私を 深く
不憫に 常に 案じて居てくれた……
この 大問題は 最愛なる母上様と愛娘の私
そして 神仏様しか 預かり知らぬ事…
首元 手首 足首 を 冷やさぬ様に 暖かくして
相棒スニーカー👟と ゆっくり 歩く……
毎年 同じ道を 好き好んで 歩む。
見る 風景は 同じはずが この頃は 新しい発見あり
懐かしさに 佇む瞬間もあり
豊かな 感性を 両親から 受け継いだ事に
感謝 する。
私なりに 人生の ねんりん を 積み上げて来たのか?……
積み上げて 来られたのであろうか……
贅沢な 時間が、 そこには 有る。
笑顔が 生まれ キラキラした 世界が 広がる。
こわばり 痛みが 強い日でも
歩ける
五体満足な 身体にも 感謝 感謝……
空を 仰ぎ 両親に 語りかける
そして 私は 口ぐせの様に 呟く。
私は 幸せ者です~ 有り難くて 嬉しくて
世界一 幸せな娘です~
本当に 感謝 感謝
生きて居る限り
思いきり 恩返し します!
もっと もっと 安心して欲しいです~
見ていて下さいね❣
難病 なんて 言わせない
必ず 人様の そして社会に
役立つ
私に 戻りますから
待っていて下さいませ。
私の瞳は 未来を、見つめ
不安 焦り ジレンマを 吹き飛ばし キラキラ✨輝く。
ふと 最愛なる母上様の声が聞こえる
無理しては 駄目よ 気をつけなさい…
転ばないでね
これは 私が 母上様に 長年 毎日 毎日
口を すっぱくして 言っていた言葉 (笑)
素晴らしい 両親を持ち 幸せです!
そして 今日
私は 誕生日を 迎える。
深い 感謝
深い 愛を 深く 祈る。
秋には
一人旅に出たい~
そう 思って 通院
沢山の お薬 を 服用し
お散歩 リハビリ にも
ぐちけずに 気力で ポジティブに
頑張って来た私。
夏の疲労か?
朝晩の冷え込みか?
仕事 にも 奮闘しすぎた為か?
悩み 深い 環境に いるためか……
リハビリお散歩も
出来ずに 痛みと 闘いながら
ベッドの 住人 の この数日。
ならば いっそ
転地療養しようか?
私の
若い頃には
最愛なる母上様 も 元気で
伊豆 の 別荘に
数か月 温泉療養 天地療養して
その後
海外で お着物を 来て
国際親善
の 任務迄 無事に 務め
パワフルに 仕事に 奮闘出きる迄に
回復
寛解状態に 成っていた。
我慢を 重ねて 無理を重ねて
我が家に いるより
今は 転地療養も
思案している私。
人生いちど。きり。
無謀 で、あっても 試みたい!
膠原病合併 糖尿病 狭心症 脳梗塞2回……
満身創痍 の私……
麻酔アレルギーさえ ある。
そのような 身体で 未来 将来に 掲げた
目標は まだまだ 叶えたい事柄は 盛り沢山存在する❢
時には この 身体で 我が命を 掛けて
最愛 敬愛なる 我が母を
日常生活 母の晩年 老後を 共に 暮らし
大切に 敬い 感謝 労い
心豊かに 明るく 前向きに 毎日を丁寧に
暮らして来た
要は お互いの 信頼 に 二人三脚。
母の素晴らしい 前向きさ 気高く 優しく強い魂……
愛娘ながら 慕い 魅了される 人格 美しさ……
膠原病 に加え
頚椎 腰椎ヘルニア
そして 喘息すら 在宅介護で 発症した私ですあるが 私の 人格の 勲章 と 思い
けして 他の 家庭 人々と、 己を 比較する事無く
時には 母と 共倒れに陥り
同時に 救急搬送された事 入院したことは
多々あった…
亡祖母 亡き父に 必死に 祈り
何処に居ても 我より 母の安全 回復を祈る…
どうしても 解せないのは
精神疾患を 高校受験から 発症してしまった
姉の存在……
私が まだ 中学生に成ったばかりから
姉に 変化が 見られ
仕事で 一世風靡 していた
母と
文部両道 明朗快活に 育っていた 私に
暗雲が 立ち込め 張り詰め
姉は 勿論
立派過ぎる 母と 私の 悲劇 苦しみの耐えない
暗く 長い 長い トンネルに 惹き込まれ
暗黒の 時代へ 飲まれ混んでいった……
将来を 約束されていた 日本を代表する 工芸作家
父は 私が 2歳の頃 くしくも
惜しまれつつ 心臓病で 世を去り
母の才覚 手腕 人柄から 姉妹は
豊かに 暮らし
熱心な 母の 愛 教育 教育を 受け
順風満帆に 見えていた……
だからこそ 母も 妹の私も
姉の病を 治す事に 名誉 財産を 手放し
母と 私は 二人三脚で 頑張っていた…
しかし その姉は 母が 終末期の際に
一度も 親孝行 恩返しらしき行い…
気持ちを 現した 事は ない。
それどころか 私を 敵の如く
未だに 悪く 思い
親族 や SNSにさえ 投稿し、止まぬ…
偽りの 思い込み? 被害妄想を……