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介護 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り〜 特別室へ引っ越し

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


母は最上階のエレベーターが開くと
眩しそうに 一面窓‥ …

快晴
横浜の街が晴れやかに見渡せる 
 
ベッドから横向きで 此処は? 私に問いかける。

今日から母上は 此方のお部屋で 診て頂くのよ
私が 手を差し伸べると

介護士さんらが お嬢さんは優しくて
親孝行ですね  羨ましいわ
と。

母上は立派だから 大好きだから
私からの
せめての気持ちよ。
良く成ったら 横浜の夜景を此方から一緒に
見ましょうね
と答えた。

母は不思議そうな 驚いた様子で
ちらっと 周りを見渡して
特別室に 入った。

介護士さんらが 体調は変わりないですか?
目眩は しないかしら?
今 軽く体調を見ますから
お嬢さんから お話しを聞いて下さいね
と ナースステーションへ向かった。

母上 窓があり 綺麗なお部屋でしょ?

ほら 昔むかし 母上が私を いつも
特別室や個室に入れて 治療させてくれたから
今の私が在るのよ。

だから 何も 心配しないで
安心しながら ユックリと 焦らないで治療して
元気で長生き!
必ず幸せに 長生きしてねと話し掛けた。

母は こんな贅沢しなくて良いのよ
私にお金は自分の為に貯めなさいね、

親だから 大事な娘を大切に 扱うのは
当たり前、 分かったわね

と幾度も繰り返した。

はい 分りました!母上 有難うね
私は 敬礼のポーズをして 悪戯な顔を 
母に
向けた。
 
同時に私の不手際で転倒 骨折したが故に
この様な状態に  母を苦しませ

美味しいお食事を食べる事も
通常のお茶 珈琲すら飲めず
全て嚥下食と 飲み物?はトロミをつけたグズ湯の様な…

健脚でスポーツも万能な
大切な母の足を
 世界一大切な母の命を

顔で笑い 心で泣く  とは 当に!
これだ。

全身全霊  
私は母に償い
愛で守り 母に少しでも
幸せと安堵感を与え続けよう!!

母の美しい横顔を見つめながら
私には 母を介護している
なんて 生意気な言葉は 一切言うまい

私は母を敬い 感謝しながら 
共に頑張り
一緒に生きて欲しい!  心の奥底から叫んでいた。
 
どうしたの?
座りなさいね……母から優しい言葉。
 
うん、有難うネ
ほら この花瓶 家のよ
そして
頑張ってくれて居る母上に お花の贈り物
綺麗? 私が生けたのよ。 
  
母は まあ 凄いのね  何と何のお花?
私が花瓶を持ち
一つ一つ説明したら  本当に綺麗ね 
  
上手く 生けてあるわね  と
 生花の  
先生の資格迄 持っている母に  
褒められ 喜びを噛み締めた。
  
大分 お喋りをしてしまい
心配になり 母の体温 酸素飽和度を
測定し始めたら 

トントン 
こんにちわ〜変わりはないですか? 
約束道理に 緊急病棟の担当医師が
診察に入って来た。 

私は 
先生 こんにちわ。
今さっき 無事に此方に引っ越しました。
介護士さんも そろそろ 来て呉れます。

大分母に お喋りさせてしまって
宜しくお願いします

丁度 タイミングよく
母の容態を良く 知っている医師が
来て呉れて ほっとした。

失礼しまーす
介護士さん2人も 電子カルテや測定器を乗せた
ワゴンと入って来た。

今していた点滴も 空に近い

私は
少し座りますねと
診察の邪魔にならぬ様に ソファーに
コートを脱いで置き
座りながら 母の顔と 医師の顔を
見つめていた。




#介護士さん#母上#お花の贈り物#特別室#優しい言葉#介護日記#要介護5#バリアフリー

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カンファレンス 介護 余命 在宅医療 看取り 誤嚥性肺炎

病病介護を振り返り〜 カンファレンスナンバー3 結論は如何に?

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


一般病棟へ! 確実に母は 退院へ向かって居るのだ!
本当に我が母上 は素晴らしい
私の心は躍って居た。

治療の効果と 毎日のベッドに拘束され
様ざまな
器具や線に繋がれて
苦しみ高熱と闘い
辛い日々を頑張って呉れた。

しかし母は私には笑顔で
私を愛し 信じて呉れた。

安心させる様に穏やかさを見せてくれて居るのだ。

音楽を聴いて居ても
実際は苦しく だるく 辛かったであろう。

母を見るにつけ
痛々しい姿で
私は病室を後にする時  涙が溢れ
足元が おぼつかずに居た。
治療は大事だが
もの凄く母を不幸にして居る気持ちさえして居た。

なので
訪問医師に 何とか在宅医療で 治す事は
無理ですか。
と私なりの治療方針を語り
相談したものだ。

やはり急性期には病院での加療が必要であり………
私は毎日 母に私の生命力と愛を せめて
与えに通い詰めた。

ソシャールワーカーには
退院に向かって居る!!けれど

万が一を考えて
私は最上階の特別室を 願い出た。

これからも何かと費用は掛かるが
私は せめて
いつも病を必ず
前向きに
私を信頼し 私を守る母の愛機の深さ故に!!
闘病克服して呉れた事を

そして
私達 姉妹を 父親役 母親役を立派に
こなして呉れた最高に尊敬 感謝
愛する
我が母の為には
特別室はあたりまえだと  余命宣告された頃から
思って居た。

特別室では やはり 介護士の見回りも多く
手厚い介護がなされる。

医師の回診も勿論多いのだ。
そうゆう面でも 安心がある。

此れが相部屋と個室 特別室との違い………

複雑な気持ちもあるが。

大きめの音量でクラッシック音楽等を
痴呆
せん妄 悪化予防に24時間流しても良い。

母は今回の入院で 41度の高熱と酸素マスクの
時は グッタリ寝入っていたが

38度台に解熱してくると
真っ白な広い緊急病棟個室で拘束された
治療 ストレスで
柔らかな静かな
せん妄が夜間に現れた位で
クリアーで安堵した。

本当にレビー痴呆症?!
いつも 私は不可思議に感じて居た。

でもADLを低下させない為にも必要な事は
私に 今出来るだけの 母への恩返しがしたい。

私は特別室へ
見学に上がった。

エレベーターが開くと廊下には
綺麗で重厚な絨毯が引き詰められ
ソファーが ズラリ。
大きな窓に素晴らしい夜景

更に歩き2重の扉

其処には特別室専用のナースステーション

特別室一つ一つに絨毯の色が異なり 玄関ドアー

部屋に入るとキングサイズのベッド
広い庭まで付いている。

更に回復したら
いつの日にかは
母を車椅子に乗せて
拘束されていた身体を心を癒やすために
母の大好きな夜景を見せて上げたい!

ソファーに移乗させて
母と私 並んでアイスクリームを食べて
貰いたい!

お庭から綺麗な景色と新鮮な空気を
味わって欲しい!!

イロイロ 先走り 胸が高鳴った。

特別室専用ナースステーションで
申込み書類を記入し  急いで
母の待ってる
緊急病棟へ 松葉杖で足早に戻った。

母は私の帰りが遅く
心配した様子であったが
母上〜 本当に頑張ってくれて素晴らしいわ!

退院は もう少し安全確保の為に 先だけれど
この病室から
上にあるホテルへ 明後日 お引越しよ!!

本当に 良く頑張って 良く我慢して
くれて 有難うで一杯よ。

私は つい早口に成って居たが
母は私の喜ぶ姿で 良い方向に事態が
回っているのを 感じて呉れて
良かったわ   を繰り返し

私に有難うを くり返しながら
背中を
擦って呉れた。

大丈夫 私は大丈夫よ。
熱が上がると大変よ
母のベッドの上半身を
少し下げて 私は語りながら
母の手を握り  時には背中を摩すり
肩を揉んだ。

母と私の見合わす瞳は輝いて居た。

すると 担当の医師が 今晩わ
と 母の様子を見に来て呉れた。
母に 向かって 良かったですね!
大丈夫ですからねと
カンファレンスの時と
全く異なり 優しい笑顔 声がけをして呉れた。

母は そうですか??
有難うございますと
医師と私の顔を交互に見ては
笑顔を見せて呉れた。

先生には感謝しております。
引き続き 母を宜しくお願い致しますと
私は丁重に挨拶をした。

はい あちらに移られても
私が出来るだけ 診に行きますから
あとは3人の医師も
一日に何回か 診に行くので
安心して下さいね
お嬢さんも 大事にして下さいよ(笑)
と言われてしまった。

病室 病棟の引っ越し
不要な物は 自宅に持ち帰ろう!!と
そっと   片付け始めたら
母は 無理をし過ぎては駄目よ。

自分の身体は 自分でしか
守れないからね!気をつけてね
と 温かい言葉を 少し疲れた様子ながら
大切な言葉をプレゼントして呉れた。

そうだ
此れから もっと 頑張らねば!!

母を休ませる為にも 今日は
この位で帰宅しようと 少し反省して

母に オマジナイの子守唄を歌い始めた。
母上  本当に今日もご苦労様です。
有難うね。
又明日ね 必ず元気で待っていて頂戴ね。





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カンファレンス 介護 余命 在宅医療 看取り 誤嚥性肺炎

病病介護を振り返り〜カンファレンス当日ナンバー2 結論は如何に?

    
#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎






いよいよ カンファレンスがスタートした。
私は緊急病棟の母の担当医師の真ん前に座り
医師は 母の治療カルテが見易い角度に
してくれた。

他には循環器科の医師
隣には外来で担当が変わったばかりの初めて会う女医
介護士2人
ソシャールワーカー

私の隣には少し遅刻して入って来た在宅医療のケアマネだ。

やはり終末期入院の患者さんの場合
大体 こういったメンバーである。
  
さて医師から 入院当初からの母の容態を時系列に 
口頭で 変遷が報告された。
 私は入院前の様子から服薬の薬を述べ
母の今回 使用された抗生物質の点滴の薬剤成分を
質問した。

毎日 母に介護にお見舞いに来て居て
薬剤の追加や変更があり 気に成って居たので  
介護士さんからは教えられない制度なので 
疑問 質問は しっかり聞いた。
ケアマネも私と同じくメモを  急ぎながら書きとめる。

炎症反応CRPや白血球 胸の音 レントゲンの肺炎の変化
嚥下 体重 睡眠 尿 熱の変化 諸々
質問し  呼吸科の医師や介護士からも 説明を受ける。

今迄の点滴カロリーや  いつ、嚥下食スタートか?

又緊急病棟は20日間しか入院出来ないので
退院に向けて今後の治療方針を尋ねた。

担当医師から
は もっと重篤になるかと 医師 介護士らは
夜も頻回に血液検査や 酸素マスクを考慮して診て居たが 
お嬢さんが毎日 遅く迄

御母様に語り 凄い熱心に介護し大事にされたのも
幸に転じ 体力 年齢を超えた頑張り
治療の成果が出たと話して呉れた。

ケアマネと顔を合わせ
やはり!関係すると笑顔で皆の顔を見渡した。

ケアマネも本当に熱心なんですよ…っと私の背中叩いた!

医師は酸素マスク使用せず明後日から
一般病棟へ行かれます!と笑顔で話した。

有難うございます!!
嬉しいですと立ち上がり頭を下げた。

一般病棟
間違いがなく退院へ!!



 

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介護 余命 在宅医療 看取り 誤嚥性肺炎

病病介護を振り返り〜 救急車で緊急病棟へ入院した母よ!カンファレンスの日が到来

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


私は 雨の日も台風で傘が折れる日も
母の緊急病棟個室へ祈る気持ちで
沢山のお見舞いやメッセージカード 
新しい下着やタオル を 抱えて
 皆勤賞物で
面会終了時間ギリギリまで

介護士さんらに交わり ある意味より丁寧に
母を介護し 心身を見舞った…

今日はカンファレンスの日だ!

母は私が こんにちわ
今日は体調は大丈夫? 苦しくない?
と尋ねると
明るく笑顔で 大丈夫よ
もう大丈夫だから 先生に退院させて下さいと
告げてくれないかしら?
本当に大丈夫よ。
毎日有難うね

と言って 私が大変だから 退院と
思いやってくれて居る気持ちを察した私。

うん
そうね  今日は先生達とお話し合いなのよ、 
母上の気持ちを しっかり伝えながら 私が
きちんと話し合いして来るので安心してね!

退院 嬉しい響きだ!!

母の尿袋が外されている!
わぁ 本当に一つ一つ母は克服
回復してくれて居る

嬉しくて 愛しくて 今日も前進!していると
母に本当に 本当に立派よ
よく頑張り 素晴らしい!
流石に 世界一愛する私の宝物よ
と 母を抱きしめて抱きしめて
離れたくなかった。

救急車で運ばれた日の光景が
脳裏に浮かび  余命宣告すら
されている 母よ
本当に素晴らしい!
立派に生きてきて 沢山の徳を積み上げ
人助けまでして来て
本当に神仏に守られている 確信した。

又我が家で 訪問医療介護で 
母との時間が持てるのだ  
 母の姿を見て 
嬉し泣きだ……

今日は私が膠原病とヘルニアの痛みで
コルセットや癌の疼痛薬
リリカ  トラマールを
マックス6錠ずつ服用してマイ松葉杖

でも毎日の母の有難き頑張りを
思うと 自分の辛さは遥か彼方へ遠ざかる
私には母の存在と笑顔が 史上最強のお薬である。

そう!母娘して お互いに そうだ!

有難い   スマホカバーのボケットには
 人間国宝と 二人で作品創作に出むく
故父の写真を入れてある
カバーを開けて見たら
父の満面の笑みと 大丈夫だよ…と
語り掛けて呉れる。

今日は ほら見て!と 母に 父の写真を
見せた。

あら パパの写真を持ち歩いて居るの?

まぁ懐かしい 此方は 鹿児島寿蔵さんね。 
よく こんな写真みつけたわね? と

懐かしい仕事の話も15分位
笑顔で話せて 母の幸せそうな 笑顔と
 熱心に
写真に見入る姿に
私は体内の血が騒ぎ 脳内モルヒネが
フツフツ湧き上がる勢いをドクドク
感じて居る。

母の体内にも同じ事が起きているはず! 
頬が淡くピンク色に成り まるで
乙女の様だ。

幸せの形はイロイロ有るけれど 最高の至福である。

私は介護士さんに カンファレンスはまだですか?
母の傍に居て大丈夫かしら?と 
ナースステーションに声を掛けた。
はい お声がけしますね
お待ち下さいねと明るい返事。 

母にプリン ヨーグルトを 食べれるかしら?
とオーバーテーブルに
箱から出した途端に

医師3人 介護士二人 ソシャールワーカが 
こんにちわ、お待たせしました。 
アチラへどうぞと 部屋に入って来た。

ブリンを食べさせたいので
何方か 介護士さん 母をお願いします!
と頼み  

私は元気に明るく 先生達と
 お話ししてくるわ!
直ぐに 極力早く戻るから
ユックリ安心して食べて居て頂戴ねと
母の手を握り 背中を撫ぜた。

直ぐに?待ってるからね
母は今まで楽しく談笑して居た私が いきなり
沢山の白衣を着用している医師達と 
部屋を出てゆく姿に
動揺を見せたが
私は必ず 良い方向への話し合いだと
胸を張った。

部屋は随分 遠いい 
介護士さんの1人が歩けますか?と
私に気遣いをみせて呉れた。
ええ 母の為なら 大丈夫ですよ!
笑顔で 今日は良い天気ですね
と答えた。

そろそろです
遠くて すみません 
介護士さんが私の心身をホローしてくれた。 

コツコツ コツコツ
足音が大きく院内に響いている。 

いざ!出陣
私は案内された広い部屋に入り 大きな電子カルテが
まず目に飛び込んで来た。
そしてレントゲン写真

ファイト!母上
ファイト!私
父の写真を再び見ながら祈る。

失礼致します。
松葉杖をデスクに掛けながら

本日はお忙しい中
お時間を割いて下さり有難うございます。
宜しくお願い致します。

と一礼してから 椅子に座った。
母上  待っててね! 
必ず良い知らせが
出来るからね。
母の笑顔を彷彿しながら
心の中で約束をして 私はノートを開いた。





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介護 余命 在宅医療 看取り 誤嚥性肺炎

病病介護に振り返り〜 緊急病棟個室へ入院した母よ

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


翌日は昼間に病室に着いた私。

一般病棟の看護師さんとは異なり
男性の看護師さんも多く 腕が良く俊敏な仕事ぶりだ。

私がの提案や質問にも丁寧に掘り下げ
医学的知識も深い。

私が20歳代の頃
誤診に遭い 免疫系を破壊され膠原病とベーチェット病で3年寝たきり
痛みで紙すら握れず七転八倒していた。
失明の危機にも遭った。

その結果 結婚したての私は母と主人に心配と
大変な介護 苦労を掛けた……

膵臓裏の小さなランゲルハンスから分泌されるコルチゾールが出なくなり
少しのストレスや過労 異物ウイルス混入で 
全身 指から全て猛烈な腫れや痛みで立つ事も無理な状態に陥り
命さえ危険だった。

徐々に回復し奇跡的にアクティブな私に戻れたのは
母の深い愛
海外駐在員の辞令を幾度も命令されては辞退して呉れたエリートの主人の労りと介護
そして母譲りの私の意志の強さからだった。

その医療裁判に向け2年間
私は医学部で学んだ。必ず裁判に勝ち
家庭混乱 重篤な病の身体にされた私は初歩的なミスを侵した医師に反省して欲しかっだ。

そして尊敬し合っていた主人に力量を存分に
発揮して欲しくて私が身を引き離婚までに至った。
勿論 主人は仕事より私を選んで呉れたが 
私が足を引っ張るわけにはゆかない と悩み抜いた結論だ。

話が脱線したが
私が気力と母への愛で介護に自らの命を掛けられる理由はこの事件にも起因するからだ。

既に前回
 母は大腿骨骨折 寝たきりに成った時点で
余命を宣告されている。

しかし必ず! 私が母を幸せな気持ちで
再び 安泰で長生きさせると決意した以上
私自らの病を気力と薬をで余命を封印した。

抗生物質が菌に反応し効果が現れ
38度台に母のすざまじい41度の高熱が
下がり始めた。良かった!!

変わらずに管だらけで 心が壊れそうな私だが
男性看護師さんが  様々な苦痛や環境の変化により  癌や腫瘍が胃腸にできたら大変な事態になるからと
それを予防する注射を点滴管に注入した。
なる程…… 今迄 母がオペや長い入院の際には こういった処置 予防はなされなかったので
やはりICUに凖ずる 緊急病棟の治療は流石だと感じた。

私の誤診 入院の際にはステロイドを一日12錠!と
当時39キロの細い私の身体は副作用だらけで その中に酷い胃潰瘍 胃に水が溜まり
体重は20キロ台に減ってしまったものだ。
一年間 重湯しか口に出来なかった。
歩く様に成るまで
悔し涙を流し 一人黙々とリハビリに励んだ。

母には医師や看護師さんらが懸命に治療に
あたってくれて居る様子を目の前で見て居て
少し
私の心が穏やかに成った気がした。

母もサチュレーションが下がると酸素マスクを付けられ 状態が良い時は 鼻からの酸素で
私に 少し楽に成ったのよ………と
まだ苦しそうに身体を 捻じる様な動きも
見えたが
気持ちは同じく 落ち着いて不安げな顔つきから
柔和な時間が少しずつ 垣間見える。
楽観は駄目だが
必ず!大丈夫と母に繰り返し告げた。

必ず!!早く治してお家に帰りましょう
指切りげんまんよ と笑顔で母を抱きしめた。
二人で一つよ。
私の言葉に疑いを持たずに信頼しきって
闘病に励む 我が母の姿に胸を打たれどうしだ。

私がナースコールを押すと二人の看護師さんが
一瞬にして飛んで来て 私の質問や こうして欲しいと願い出ると直ぐに慎重に相談し
介護士長さんが答え説明に来て呉れた。

これには心強く 母も気配や丁寧な口調を耳にして
安心しながら
辛い治療に頑張ってくれて居る。
これこそ
救命病棟 救命病院の務めだと感じた。

未だに 在宅医療しているのなら
お帰り下さいと冷たく 口にした医師の言葉は何だったか?見殺しにするつもりか?
恐ろしさを痛感した。
あのまま 帰宅して居たら
助かる大切な命が~ 信じられなかった。

母は私が傍に居る姿を見て 手を繋ぎながら
安心した様に寝入った。

母の寝顔を見て  今迄 本当に感謝で一杯。
私は母の娘に生まれて世界一 幸せだと
心から誇りに思った。
何時も 何時も頑張りどうしね、本当に有難うね。

又必ず 在宅介護で 母の苦労 頑張りに
報い 親孝行に専念しよう!!と
気力が増した。


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#終末期医療#誤嚥性肺炎#緊急入院#緊急病院

カテゴリー
介護 余命 在宅医療

病病介護を振り返り〜 緊急病棟個室に入院した母

#在宅介護
#誤嚥性肺炎

病院・飲食店で大人気の除菌剤チャーミスト


私が入院道具を 自宅に取りに帰り 母の病室に 
戻れたのが 明け方4時半を回っていた。

母の顔を覗き込むと 高熱で疲労した為に
眠っていた。起こさぬ様に そっと手を繋ぎ
今日も一生懸命に私を信じ 頑張って呉れて
どうも有難うね  
 
本当に転倒さえ させなければ……
胸が傷み 酸素マスクや心電図 24時間点滴や 抗生物質点滴等 尿管も入って居て 改めて
私の至らなさを 自ら嘆き 悔やんだ。

私の幸せ 自由 人生より
最優先に母を守り生きて来たのに
私の力不足と愚かさが 母を苦しめて居る。

緊急病棟の休憩室へ行き 飲み物を口にしながら
自分の薬を一気に飲み込んだ。
入院書類を書きながら 誰も居ない長い廊下が
暗いトンネルの様に見えた。

私が代わって上げたい
母には何の落ち度もない………
世界一尊敬感謝し愛する母

朝の8時には担当医師が決まり
会える予定なので 病室に座りながら
泊まる事にした…
外来の医師だろう、 女医で有る。

この高熱は やはり肺炎だ
何故 眠って居る間のだ液さえ 誤嚥性肺炎を
招くのか。 口腔ケアーは丁寧に頻度高く行なって居る。
寝る姿勢にも 真夜中さえなおした。

何故か?理屈は分かっでいるが悔しかった。

 頻繁に繰り返す誤嚥性肺炎
残酷だと感じたまらない 優しく母の背中をメインに
擦り続けた!  

うとうと15分位 眠っては
夜勤の介護士さんに母の容態を聞いた。

そろそろ病棟が騒がしく 人の声か聞こえて来た。
もう夜が開ける。
病院の早い朝が開ける。

8時 私は冷たい水で顔を洗い
凛としていたくて薄く化粧 口紅を塗った。
しっかり! 母をより良い医療を受けさせたい。

先ずは介護士さんが母の検温
サチュレーション 血糖値
聴診器など 母に声がけをしながら
測定していた。
私は医師は誰が主治医か?
炎症反応や肺のレントゲン 心臓の動きを
聞きたいと 介護士さんにつたえた。

一時間後に 医師が入ってきた。
担当すると名乗る初めて見る男性の医師である。

細かい日常生活から遡り沢山の質問を私に矢継ぎ早になげ掛ける! 私も質問事項は 殆ど聞いて全て
何時もの如くメモをした。

2時間近くに及んだ初めての顔合わせ。
急変した際の延命も やはり問われた。

医師に返事を ゆっくり確実に答えて居ると
何故か ふと遠い昔が脳裏を過った。

私が幼い頃 母は仕事で多忙過ぎて
徹夜の毎日の中
沢山のお弟子さん 芸大生も泊まり込み仕事に励んで居る深夜に  
母は  姉妹並んで 寝ている私に
一緒に寝てあげれなくて 御免なさいね。
ママはお仕事なのよと
優しく私の頭を撫でて頬を付けて
優しく布団を 掛け直して
2階の仕事場へ急いで戻ってゆく雰囲気を
愛を感じていた。

その時 私は母がまだ寝ない事を3歳の幼い気持ちながら 一生懸命に広く長い階段を手摺に捕まりながら
見に行こうと
起きていた……

母にまだ起きていたの?と心配かけたくなく
咄嗟に場の雰囲気を感じて寝た振りをしたのだ。

何故?今 急に思い出したか不思議だけれど
現在は私が母の命を守る立場 ある意味
母の娘ながら 母をお母さんの気持ちに
成っていたのだ。

愛しい母
また必ず克服してください
私が幸せにしたいから
お願い。
二人で頑張りたいの……… 心底から願っていた。

医師は抗生物質を効果が現れない様なら
変える 濃厚な栄養剤 塩分
脂の点滴する等
治療方針の要を 私に話した。

私は毎日 来ますから!
母を宜しくお願いしますと挨拶をして
メインの医師は何名で、其々名前を聞いて メモをして 深く頭を下げた。

今 酸素は幾らですか? 不安で聞いてみた。
上手くゆけば明後日には酸素マスクを外せるかも知れないと。
長いトンネルから母が抜け出せる!!
必ずと医師の言葉を頭の中で復唱した。

暫く母は禁食だ。
また痩せて体力が落ちぬ様にと 
母の手を握り 胸を擦りながら
人の気配で 少し目を開けた母に
今ね、先生が来て大丈夫ですって!!
また二人で必ず頑張れば 家に戻れるからね!と
母の頬に オマジナイ!のキスをした。

母は安心と辛さで
直ぐに寝入った。母の手は
しっかり私の手を握り締めて居た。
本当に愛しい
早く苦しさが軽減します様に。

故父や祖母に懸命に祈った。


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介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り〜母の呼吸困難で救急車!さて入院か在宅医療か?

#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎


救急車が病院へ到着した。
母の酸素飽和度は酸素マスクのお陰で数値はアップしたが
高熱41度が不安だ。  

顔は真っ赤で やはり苦しそうである。

緊急処置室に運ばれた母。
私は待合室で長く待った。

救急車で駆けつけたのが、こんなに待たされるとは? 胸がドキドキ鼓動を打つ。
誰か 姉が精神疾患でなければ 直ぐに電話で
判断を医師に万が一 聞かれたら相談出来るのだが。

落ち着け 私! 
絶対大丈夫 
冷たいカン珈琲を片手に 神仏に祈る。

トントン 私は心配で立ち入り禁止の処置室に入り 母を見つけた!
数人の介護士さんらに 如何ですか?と母の容態を尋ねながら母の身体を抱いて頭をさすった。

検査は一応済んだらしいが口ごもる介護士さん達。
 
医師は?どちらに
結果は どうでしょう?!話を聞きたいと思わず
強い口調に成っていた。
私の目は 母の目と見つめ合っていた。

10分後に医師が3人現れた。 
様々な検査数値は聞けた。
入院の状態だ!
 しかしながら
医師からは 在宅介護 在宅医療を受けてますよね?
入院は なさらない方が良いですよ。 

在宅介護 在宅医療をしているのならば
家での看取りを覚悟したはずですよね。

私は驚き  最終的に無理と判断された時には
我が家で看取りをしたいとは 確かに告げましたが 
今は母は覚醒していて  病院で診て頂ければ助かり治ります!こんなに高熱でも 私には、しっかり頑張って意思を伝えてくれて居ます!もう看取りを︙!
私は疑問を抱き 
一番年長の医師に 早く治療をお願いします。

経口で嚥下食や薬も摂れます。
内臓の働きも落ち着いて居ます。

医師は緊急病棟に連絡を入れ 私に分かりました。

今から緊急病棟へ上がります…

私は有難うございます。母を必ず助けて下さい
訪問医師には今から連絡します!

私は介護士が迎えに来るまで
又待合室に出された。
何とか入院に  しかしあの医師がいなかったら?
頑張って居る母が不憫で頭に血が上り

老人を大事な命を侮るな!
廊下で思わず涙を何滴か落とし叫んだ!

母が処置室から介護士さんらにタンカ押され緊急エレベーター。
緊急病棟広い個室へ!

なんとナースステーションの真ん前だ。
早速 酸素 点滴治療スタートし
介護士とパジャマへ着換えを手伝いながら
母には 又お風邪を引いちゃったのよ、早く病院に来たから直ぐに 良くなるからね!と
笑顔を見せて 手を繋いだ。

母は辛いのに又
綺麗な瞳を私に見せてくれた。
うん と言う仕草を答えて呉れた。

これで 帰宅させようとした医師団を
改めて悔しく思い返してしまった。

この気持ちをバネに私は毎日
母の元に通う!心に誓った。

母には ユックリと目を瞑り 眠ってね。
今から 入院に足りない物を急いで
持って来るわね。安心してね。
直ぐに戻るわ!

母は少し不安げな寂しそうな顔を私に
向けて こうこうと明るく電気がついた広い部屋の
ベッドに管だらけで 

私は母に 頑張ってね!二人で一つよ。
必ず又お家に早く戻れるから。
心の中で呟き…祈る。

ナースステーションにいた介護士さんらに
脇の下にもアイスノンと 電気を少し暗くする旨
頼んで タクシーでまっしぐら我が家へ急いだ。






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カテゴリー
介護 余命 在宅医療 看取り

病病介護を振り返り〜母を亡くし半年して脳裏に過る事NO2

#在宅介護
#誤嚥性肺炎



昨今 カウンセラーの仕事をスタートした事も加え
最終期老人医療の現実を再び目の当たりにして

あまりにも 母に残酷で不憫な思いをさせて
唯一無二の私の愛する母と哀しい別離を涙し
無念さは生涯消えない。

当時は一日一瞬がガムシャラ全身全霊と深い祈りで
在宅 病院 施設に渡り介護と愛 私のパワーを母に捧げて盲目必死であった。

在宅介護 在宅医療をしていた際に母は 誤嚥性肺炎を起こし キーパーソンの私にヘルニア 喘息発作の悪化で初めて掛かる病院をケアマネジャーから紹介され 母を介護タクシーで連れてゆき即座に丸一日掛けて車椅子で検査に回され 結果を聞く段階で担当医師に初に出逢った。

開口一番 医師は自分の親なら餓死させる
昔は 僧侶が死を悟ると自ら土に穴を掘り お経を唱え亡くなったと。

その話は知って居たが あまりにも餓死とは?いきなり
医療の現場か?と耳を疑った。

母と私の体調が悪い中で
 母に明るく声を掛けながら車椅子を押しつつ
私は重たい入院荷物を抱えながら
検査にあちこちと回され 汗だくだ。

医師と話が済むと車椅子で グッタリしながら一人ぼっちで診察室付近に 置き去りの母を見つけ飛んでゆき  私はごめんなさい
大丈夫?!と少しだが水分を母に補給させて
体を擦り続けた。
母は私の顔を見ると 項垂れた首を起こして
優しく微笑み 大変ね、何処に居たの?と。
母に申し訳なく涙をハンカチで
汗と共に一瞬で拭き取り
笑顔を返した。

不信感だらけながら今の母を帰宅はさせれない
在宅医療では 検査器具もなく
今回は病院に入院しかない
と困惑しながら 入院を願い出た。

その医師とは極力 私から話を度々重ねて
私と母の願い 気持ちを伝え
段々 信頼関係が生まれては来た。

母は現役時代に一人で 父親母親役を立派に
こなし 私と姉を豊かに育て上げて呉れた。
その激務の人生からか 晩年には
これでもか!?と母を幾多の病が次々と襲い
私は外勤を辞め在宅ワークをしながら
母と二人三脚で一つ一つの重たい病を入院
オペ 在宅介護で乗り越えて来た。

心筋梗塞 大腸癌の時には生死に関わり
私は雨の日も朝晩 お百度参りをした。
亡き父や神様のお陰  そして母の前向きな頑張りで奇跡の生還。
抱き合って歓喜し 母の頑張りを労った。

人それぞれ大切に懸命に人生を歩み
闘病も乗り越えて来たのに 餓死させるとは
今でも怒りの気持ちが点火させられる
老人とは病院 医師にとり 邪魔者なのか。

誰でも いつかは死を迎える。

心から信頼して 大事な親 家族を託せる医師に
診て欲しいと願うのは当然の事。

自分達世代が老いた先を想像すると恐ろしく成る。

私の病の医師 母の幾多の病で出逢った沢山いる医師の中で今 深い感謝を頂き続けて居る方は残念な事に片手位の数であり 

病院で様々な患者さんの ご家族や患者ご自身と知り合いが増え その中で耳にするのは
やはり医師 病院への不平不満で
中には転院させる事に踏み切り
家族の他に親族を集め カンファレンスで医師に怒鳴り やっと転院が決まったという話も 幾つか耳にした。特に老人を患者に持った ご家族は参って居る
私もだ
と胸の中で感じながら 話を聞いていたものだ。

ナースコールも介護士さんへ声を掛ける事すら出来ずにベッドに拘束されている患者さんの気持ちは
医療スタッフに伝わらないのか?
勿論、黙々と懸命に看て呉れた介護士さんの顔は今も感謝と共に覚えて居る

病院へ母を見舞うと言う感覚より
一日中居て介護をする状態の私は
危ないと感じる現場を 母を含め 沢山見て来たので

以前は連日 病院の母の元へ飛んで行って皆勤賞物で居たのが    毎日 終末期医療を受ける沢山の患者さんの様子を見たり ご家族の悩み相談を受けると
胸が締め付けられ
母が心配で 毎日 会いに そして様子を見に行きたいのだが 病院へ行く支度はしても
いざ行く時間になると ソファーに座り込み
行けない日が増えてしまった。
情けない! 私は?どうしたのだろうか

そうゆう日は必ず病棟に電話を入れ
母の様子を聞いたり 気をつけて看て欲しい点や
医師への伝言を頼み

転院を考慮し
ケアマネジャーに相談したり ネットで
色いろな病院に付いて  又終末期医療とは?
等 黙々と寝ずに調べて居た。

心の中で 母には必ず無事で居てね
今日は行かれずにごめんなさい
明日は早目に行くから!
を繰り返し
お仏壇に祈りを幾度も捧げていた。

病院 医師の件をめぐり 家庭崩壊に近い話を
聞いた時には 頷けた私であった。

次の投稿からは
引き続き 母の前向きな闘病
頑張りを綴ります。宜しくお願いします。






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