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介護 膠原病

病病介護を振り返り~

テーマ:ブログ
皆さんおはようございます。
20年在宅介護をして最後は本当に母も私も不本意な別れ
母の人生の8割を我が家で
電話なく転院させられた病院で悲しくも私の意見が通らず医師の判断の間違いで
残念ながら母は急変し一人で亡くなっ行きました
その悔しい悲しいお別れから5ヶ月が経ちました
何とか前向きに頑張って仕事してます。
毎日母にお供えお祈りを欠かせません。
綺麗なお花やお土産もいっぱい飾ってます。
私が難病で本当に病病介護の20年をブログで綴ってます。
よかったら皆さんを呼んでくださいね。。

母を亡くした後、心理カウンセラー・介護カウンセラーの資格、
本業の語学・歌手の他に資格を取りました。
これからは母の頑張りに報いるためにも介護カウンセラーとして皆様のお役に立てたらとも思ってます。
でも2月の節分も終わり春に向かってます。
明るい気持ちで皆さんと共に前進していきたいと思います。






#最終期
#在宅介護
#誤嚥性肺炎

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介護

病病介護を振り返り~ 母の歩けなく成ってしまった大ショック

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母は 前向きな強い性格。そして
心根が優しい人~

私にも 今迄の幾多の病のオペや 入院
辛い検索 治療後も 大丈夫よ~と 笑顔を

私や 医師 看護士さんらに美しい笑顔を
見せて 自分の辛さより
周りの人間に 寛容な心で 有り難うね~を

常に 一人一人に 言っているらしく
病院の アイドル
と 看護士さんらに 聞かされた。

私は 驚いた と同時に 皆に愛され
母らしいと 嬉しく成った。
流石!!!母と誇りに思った。

他の患者さんの大半は
文句や苦しみを
頻繁に訴えて
看護士さんらは疲労困憊で

母から沢山のパワーを貰って頑張れル!!
と言っていた。

なのに 余命を宣告されて居て…………
私は誰にも口外せずに
母にも明るく満面の笑みで節した。
病室のトイレで涙した…

その様な 母は 自分が 何故??
あちらこちらを固定されて
足が 動かず
痛みで 身動き出来ぬ 身体の変化に
きずき始めて

私には
母は どうしたの?? トイレに行きたい……
何故 行っては駄目なの?

何があったの?
ベッドの上では トイレなんて出来ないわ………と 初めて 一体 何が起きたのか
分からぬ母は 動揺していた

尿管が入っているから
ベッドで しても 大丈夫よ………
胸が 張り裂ける思いで繰り返し伝えた

母の心を守るのに 明るい話をしたり
歌を歌い 体を擦ったり
おかしな顔をしたり 何とか
毎日 毎日 母の心と身体の傷に
寄り添った

今迄の母は 病で入院して
個室でない時には
簡易トイレを 使ってくれたけれど

今回は
凄く嫌がり 私一人では無理で
看護士さんを
呼び 二人で 足は治るから
大丈夫です! と母を説得して
ベッドから 簡易トイレへ ダッコして
母には 我慢を 強いてしまった…………

娘の私には 母は今回は色々と不安 痛みから
沢山の質問をしてきた
本当に 申し訳なくて
抱き締めながら ひたすら

ご免なさい…
世界一 愛しているのにーーーと
繰り返していた私は 汗だくに
なっていた。

此れから 母に様々なリハビリが
スタートする。

母は 何も悪くないのにーーー
痛みや 不調 気持ちの整理が
つかぬ間に
眠って居ても
リハビリに起こされ
私は 母の容態が 心配で
毎日 病室へ 通って

病室で やっと 腰、臀部の
痛みが和らぎ 車椅子に座れる様に

なってからは 景色の良い場所へ
車椅子を押して 母を連れて
お喋りをした

エレベーターで 売店に おり
母の好きなスイーツを 二人で 見て回ったけれど いつもの 輝く笑顔はなく
寂しそうな 顔色も悪く

腕には血圧計 指にはサチュレーションを付けられ 私は数値も 見ながら
ゆっくり ゆっくり 母に心で詫びて

明るい笑顔 明るい大きな声で
此れからの夢
退院したら カフェしようね
等 叶わぬ事を知りながら
私は 母に 語り掛けた

母は 何時か、退院できるのね?
と 嬉しそうな 驚いた顔をして
私に微笑み 手を繋いでくれた

今 振り返り
鮮明に 一つ一つ 又 母の顔 姿が
蘇る。

頑張れ 頑張って 頑張って
プレー プレー 母上ちゃん
を 毎日
母が不調な時も
眠って居ても
明るく祈りを込めて
思いっきり 私は声をあげた。

血圧が低下したり
持病の喘息が出てネプライザーを
看護士さんの やる仕事を 色々と 私は
自ら 率先して 介護した

此れから 長い 長い
苦しみが 母を待ち受けていた

毎日
綺麗な花を沢山
多きな花瓶にいけた

母に読んで貰えなくても
毎日
手紙~マンガを書いて
母に枕元においた
沢山の写真もーーー
ぬいぐるみも。

でも 私の名前を呼んで呉れる母を
更に 命を掛けて絶対に 奇跡を起こそう
と 私は 自分の痛みさえ
忘れる程に 決意を新たにした

頑張れ 母上!!!
頑張れ 私!!… 負けるな、私!!






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介護 膠原病

病病介護を振り返り~ 医学 終末期の知識は生かしてゆこう!

私は 自らが 若い頃 誤診にあい ステロイドを1000:タブレット以上 飲まされ 免疫が破壊され 膠原病となり三年近く 痛みで
ノタウチ回り さんざん 母に世話を心労を
掛けてしまった。

1年間、~お粥しか胃潰瘍で食べれず
当時は30キロ台迄
痩せて筋肉も落ちてしまった

しかしながら
持ち前の根性 前向きさ!!で 死んでたまるか、母を 家庭を ゴタゴタにして

と、奇跡的に 歩き 復活することに出来た。

その時 色々な医学の本 病の本
老人の心
何十冊の部厚い本 を読みあさって居たので 介護士さんや 医師に 話し合い 反論しても 母の笑顔 命を大切に するのが
最優先と 念頭においた。

母へのお詫び 恩返し 親こう!!!

どうなってゆくのか
本を繰り返し読み
わかって いたから 覚悟を しながら

毎日 毎日 皆勤賞物で 嵐の日も毎日 母に 会いに通っていた。

母が 高熱 痛み
意識混濁なので 私が隣に居るのが
分からない状態で

眠ったまま 両手を組み
天井の方向に 腕を上げて

神様 仏さま
私の願いは 娘の健康 幸せです。
どうか お守りくださいと………

そして 30分してから
寝たまま 私の名前を呼び
ご免なさいと……………

私は母の熱のある熱い 頬に触れ
起きて居るの??
聞こえるる??

謝らないで

謝るのは 私よ !!
ご免なさい
痛いのよね(泣)
可哀想に

私は大丈夫よ
と話し掛けたけれど 母は眠っていた。

母の声を 久しぶりに聞いて 嬉しいのに
もう 別れの様な 言葉を口にして
私は 母の身体を ぞっと 抱いて
慟哭して 本当に 責任を感じ

更に 何が起ころうが 私が もう一度
必ず 母を幸せに する!!
と 誓った……………





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介護 手術 膠原病

病病介護を振り返り~ 祈りの決断は正しいのか?

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母の余生 命は 私一人の決断に 掛かって居る。

私自身も ショックや徹夜の連続で
膠原病がアクティブ=再発してしまい

立つ 歩くのも 困難………
指も 腫れ上がり バックも持てない状態に
陥った…(泣)
悔しい!何て事??

しかしながら
母を 守るのは 私しか居ない

決断を誤ったら 一大事………
私の落ち度で母を地獄へ
落としてしまったのだ。

私は発熱と痛む全身を癌の疼痛薬とステロイドと
母への愛で 決断した、、、

やはり全身麻酔は母には危険
オペも無理だ

温存方法で

母と更に大変な過酷な道を歩む

此れから 寝たきり状態の道へ…
大変な 道のりながら
温存方法を 撰んだ………

病室で
高熱40度
大貧血 血圧低下 多きな血腫 骨折の激痛で
真っ赤な 顔色で 眠り続ける母に………

私の命を 体力を 全部
上げるから 頑張って!!

ご免なさい………
本当に ご免なさい ご免なさいを
繰り返し……
母の身体を擦り続け

頬と頬を 心と心を 寄せあい
神仏に 祈り続けた…

私は痛みをこらえて
母の傍に 病院に泊まりこんだ…

そして
外科の医師に 決断を伝えたく
看護士長に 先生に 話したいと
アポを依頼した…………







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病病介護を振り返り~ 持病を多々持つ母のオペか?決断

テーマ:入院 手術

心筋梗塞で 心臓にカテーテルが数本入っ居る母。

他に 喘息と 糖尿病 原因不明の皮膚炎
の 状態の母に 全身麻酔のオペに 母の身体は大丈夫か………

でも オペを しなければ
寝たきり老人の道へ まっしぐら………

医師に余命宣告をされて
この 難しい決断を 直ぐには 出来ない………

翌日 朝一のオペを 延ばして欲しいと 外科の医師に 母の持病を告げて

そうしたら 医師は
え?? そんな 身体の持病ですか?
それは 怖い!!!
リスクあると おびえた。

私は カルテを見て無いのですか???

それで オペすると 私に言ったのか呆れるやら 怖いやら
杜撰さに 驚き
各科の医師に 相談して下さい!!と
私は 告げて 脱力感………

患者の身体の状態を知らずに 全身麻酔にオペ??

若者なら まだしも… これで高度医療病院?と 母が不憫過ぎる

私の手落ちで こんな事態に

そして たった1歳で 母の代わりに天使と成った 可愛い愛犬ココを 抱き締め
よた よた 焼き場へ (泣)(泣)

悲しみ 自責の念で
私は 壊れそうになり

母の苦しみ これからの母の人生
難関な
選択肢を 思うと

何も 喉を通らずに
ひたすら 亡き父に 涙して

狂う様に 祈り 語りかけ 相談し
お線香が
すぐに 無くなっていった……………

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病病介護を振り返り~ 今年は!初めて一人寂しい節分だけれど幸せでした

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テーマ:介護

世界一、最愛なる母を 失い 初めての節分でした。

物凄く
寂しいのが本音です

でも 母に祈り
今は 熱々珈琲と焼きプリンを
微笑む美しい母の遺影に 向かい お喋りしながら

母から私への沢山の生存中に 書いてくれた
お手紙や 私の似顔絵を 見ながら
母の 愛に 包まれて 寂しいけれど 心が温まる節分でした。

皆様は 豆まきして 恵方巻きを元気に食べて
邪気を払われたでしょうか。
幸せな 春!!!を
待ちましょうね…

又 引き続き 病病介護を振り返り~を
綴ります。

よろしくお願いいたします





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介護

病病介護を振り返り~ 節分✨⤴️ 福は内!!!

皆さんこんにちは。今年も、早くも節分過ぎましたね。
私は自分自らが、難病を患いながら病病介護した経験を振り返りブログで綴っております。
母を去年なくしましたが、春近しと思って精一杯明るく生きていきますので皆さんとともに
もう一度、大きな声で福は内、鬼は外で恵方巻きを一緒に食べましょうね。
よろしくお願いいたします


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介護 余命 手術

病病介護を振り返り~ 突然の 余命宣告‼️ (泣)(泣)(泣)

テーマ:入院 手術

医師は 大腿骨頸部骨折しており、
明朝一番にオペ!!と言った。
骨折したショックからか熱も40度近くある。

その後は ICU.と緊急病棟を行ったり来たりになると 続けた~~~

今の状態の母が オペしたら 死んでしまう!!
私は 寒さを感じ

医師に 母は喘息 肺炎を 繰り返して居ます、
熱も40度近くある
温存方法は と 尋ねた

医師は、今の状態では確かにオペに危険は伴う、
じゃあ温存方法でと方針を変えた。

もっと患者の状態を観て総合的に判断するべきだ
整形外科専門だから内科的なことは考えないのか、
いや、いまいちわからないのかもしれない。

医師は、熱が 引いたら 即座にリハビリだ。!

でも、高齢者で大腿骨骨折し、温存療法の場合再び歩けるように
なることはない.
歩けないと寝たきりになり、どんどん体力が落ちて
余命は もって一年かっ と
医師は 涙を流して居る 私に
冷たく いきなり 言い放った…………

私が 命を掛けて 私のパワー 愛を100% 母に注入して生きて来た私が
母の命 自由さえ 奪ってしまった~~~~~~~

転倒し 大腿骨骨折 いきなり
予期せぬ 余命宣告

この私が 自分の命より大切な母を
苦しめ 悩ませ

命を縮め 殺してしまう!!??!!

どう 家に帰宅したか 覚えて居ない………

私の名前を呼ぶ 母の声が 幻の様に 聞こえた気がした。

冷静になれ!!・
自分に 心に鞭を打った

もしもの事が 起きたら……
私も 死のう

そう 覚悟したら 私の身体の血流が 動き出すのを感じた

母へ 入院道具を又直ぐ様
届けないと!
何を 朝日が昇る。

ふと
愛犬二匹を見たら 何と

一歳の誕生日を迎えた今日
可愛いメスの愛犬が
突然死

え!!!!!
母の余命宣告を 受けた今日

まるで母の命を
守る 母の身代りか?!
天に 召された

入院道具を 床に起き
私は 座り込み 号泣した…………

母も 可愛がって居る 可愛い愛犬が

何もかも
悪夢だ、
現実じゃない

心が壊れそう 足が痙攣し
動けない

でも 愛犬 ココを抱き締め

ご免なさい ご免なさい
母を 守ってくれたの?

可哀想に (泣)(泣)(泣)
ご免なさい
まだ1歳 お誕生日なのに

有り難う

有り難うを
繰り返し

そばに居てやりたい

でも 母が待つ
病院へ 急がなきゃ!!!

車を 動かし

頑張って居れて来た 母を
ココの死

全て 私の手落ち

私が 二人を 殺してしまった

母への愛だけで 何とか!何とか!
自分の身体を 心で引っ張り
動かせた

楽しい 秋の夜が…
朝になり 地獄へ
変わったのだ。







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